小野𦽳譃字盡(おのばかむらうそじずくし)

作:式亭三馬 (1776年〜1822年)
刊: 文化3年
板元:青雲堂/英/文藏

式亭三馬の言語感覚の鋭さを示す作品として、『浮世風呂』と並び注目されるのが、小野𦽳譃字盡(おのばかむらうそじづくし)である。江戸後期の寺子屋では往来物「小野篁歌字尽」(おのたかむらうたじづくし;著者不明)を現代でいえば国語の教科書として「文字を短歌と風俗」学んだ。これをパロディしたのが小野𦽳譃字盡(おのばかむらうそじづくし)である。

本作は文化期に刊行された滑稽本の一種であり、「嘘字」「偽字」(うそ・言い違い・誤用)といった言語現象を主題とした点において、極めて特異な位置を占める。

タイトルの𦽳(ばかむら)という文字は小野「篁」に愚かをミックスした嘘字。篁の名前をパロディした創作文字で実際に𦽳(ばかむら)という文字はなかった。これが譃字である。

題名に見える「𦽳譃(ばかむらうそ)」とは、無知や思い込みから生じる誤った言葉遣いを指し、三馬はこれを戯画的に提示することで、江戸庶民の言語生活の実態を浮かび上がらせている。作品中には、知識をひけらかそうとする人物が誤った漢語を用いて失笑を買う場面や、意味を取り違えた言葉が会話の中で連鎖的に拡大していく様子が描かれ、読者はその滑稽さを楽しむと同時に、言葉と知識の関係について自覚的に意識させられる構造となっている。これが偽字である。

本作の重要性は、単なる言葉遊びにとどまらず、江戸社会における「教養」の受容過程を可視化している点にある。寺子屋教育の普及により文字知識が広がる一方で、それが必ずしも正確な理解を伴わない場合が多かったことは、本作に描かれる誤用の多様さからも窺える。すなわち三馬は、言語の誤りを笑いへと転化しつつ、知識の階層差や模倣の心理といった社会的側面を鋭く描き出しているのである。

このような視点は、『浮世風呂』における会話描写とも深く連動している。同作においても、登場人物たちはしばしば言い誤りや聞き違いを繰り返しながら会話を展開させており、そのズレが笑いを生むと同時に、人物の性格や社会的立場を示す手がかりとなっている。したがって『小野𦽳譃字盡』は、『浮世風呂』の言語表現を理論的に裏付ける作品とも位置付けられ、式亭三馬文学の言語的基盤を理解するうえで不可欠な資料である。

さらに、本作は江戸語の具体的な用例を豊富に含む点において、近世語研究の資料としても高い価値を有する。誤用という形で提示される言葉の数々は、当時の人々がどのように漢語や専門語を受容し、日常会話の中で変形させていったかを示す貴重な証言であり、三馬の観察眼の鋭さを改めて裏付けるものである。

嘘字尽くしの最後は自らの式亭三馬の名前で嘘字をつくっています。3つの馬が並ぶ嘘字をつくってジョークで締めくくっている。江戸文学の自由度の高さを感じます。現代の出版業ではフォントがないとPCでは表示できませんが、嘘字。偽字のアイデアが成立するのは彫師が自由に文字を彫ることができる木版画だからこそ。現在のPCではフォントがないので表現できない書籍ですね。

補足

■小野バカムラウソ字尽[小野の馬鹿村虚字尽]
(文化3年・原装本)
【判型】中本1冊。縦180粍。
【作者】式亭三馬(游戯堂)作・序。楽亭馬笑(楽山人・楽斎)校。歌川豊国(三世)画。
【年代等】文化3年1月刊。
[板元]上総屋忠助原板。西村屋与八後印。

【備考】分類「滑稽本」。『〈道外節用〉小野バカムラウソ字尽[小野の馬鹿村虚字尽]』は、『小野篁歌字尽』に似せて作った本文を始め、語彙を中心とする種々のパロディを集めた往来物風の滑稽本。本文は「+春(うわき)・+夏(げんき)・+秋(ふさぎ)・+冬(いんき)・+暮(まごつき)」のように字形の似た俗字を集め、さらに「春うはき夏はげんきで秋ふさぎ、冬はいんきで暮はまごつき」といった狂歌を添える。また、後半の「編冠構字尽」「五性名頭字尽」「異類異名尽」「妄書(むだがき)かなづかひ」「手の筋早見」「どういふもんだ痕紋図説」「人相小鑑」「人相図論」「諸流小謡」のほか、前付・頭書等に種々の戯文を載せるが、「胸算用早割乃法」「じれ子さん」「年中通用文章」「紋づくし」「〈大篆・小篆〉似字尽」「無礼不躾方」など、いずれも往来物のもじりである。

風流無くてななくせ[遠眼鏡](ふうりゅうなくてななくせ とおめがね)

版元 耕書堂 (蔦屋重三郎 2代目)
絵師 葛飾北斎
制作年 享和年間/1801年~1804年
復刻版 大正期

耕書堂では非常に珍しい葛飾北斎(1760~1849)が絵師をつとめた大首絵の美人図です。初代蔦屋重三郎と北斎は草双紙で挿絵の仕事が多かったが、2代目蔦屋重三郎と北斎は初代に負けじと挑戦したのが本図の大首絵だったのでしょうか。
「可候」と名乗っていた時期の作で、絵の右上に「可候画」の落款があります。日傘を手にしたお歯黒で眉をそり落とした武家の妻と、島田髷の若い娘が大きく描かれています。二人はおそらく母娘という設定です。娘は和製と思われる朱塗りの遠眼鏡をのぞいています。18世紀の江戸では舶来品として望遠鏡が人気でした。
「ななくせ」というタイトルから、女性たちが無意識のうちに出してしまう「癖」を主題にした7枚揃とも考えられますが、他に「ほおずき」と通称される図が知られているだけです。「ほおずき」には手鏡が描かれており、新奇なガラス製品をあしらうシリーズものだったのかもしれません。本図は、しかめっ面で遠眼鏡に夢中になっている娘の「癖」を、母親がたしなめている場面とも解釈されます。なぜなら、川柳もたしなんだ北斎は次のような句を詠んだからです。「皮切りといふ面で見る遠眼鏡」(初めてお灸をすえられた時のように顔を歪ませて覗く望遠鏡)

参考 文化遺産オンライン

夫従以来記(それからいらいき)

~江戸時代の未来予想パロディ~

板元  耕書堂
戯作者 竹杖為軽 たけづえ すがる
画 喜多川歌麿
刊行 1784年 天明四年
黄表紙 上中下の3巻


蔦屋重三郎がプロデュースした黄表紙。未来の江戸をパロディで紹介したストーリーなのだが現代人が読むと当時は本当にあったことなのか?と錯覚する内容も。江戸時代のユーモアを直球で感じることができる作品だ。

本作の戯作者 竹杖為軽(本名 森嶋中良)(1756?~1810)は平賀源内の弟子で、狂歌師、戯作者として、森羅万象、万象亭などの名前でも知られる。挿絵は20代の喜多川歌麿。

竹杖は奥外科医桂川家3代目と寄合医師大八木家4代目の家系で蘭学者としても活躍した。源内も嫉妬するほど戯作の才能もあったようで、源内が獄死する前に叱責を得て確執が生じたまま竹杖と源内は離別した。蘭学にも注力して『紅毛雑話』、寛政2年に『万国新話』『琉球談』など刊行した。1801年に二代目風来山人を襲名、文化5年より二代目福内鬼外を名乗って平賀源内の門人として人生を終えた。

蔦屋重三郎は竹杖の才能を早くから見抜き歌麿とのコンビで本作を刊行した
ストーリーの起点は聖徳太子の「未来記」までさかのぼる。未来記をパロディとした恋川春町の黄表紙「無益委記(むだいき)」は好評を博した。さらに恋川春町にインスパイヤされた朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)(1735~1813)も「長生見度記(ながいきみたいき)」で未来記を書いている。それにならって本作「従夫以来記(それからいらいき)」(1784刊)を書いたとも説明している。本作ではただの未来予想図ではなく、当時の江戸を通と穿をパロディした異世界の作品となっている。吉原連(狂歌のあつまり)で竹杖と親交が篤かった四方赤良(よものあから)(大田南畝(おおたなんぽ))、朱楽菅江(あけらかんこう)、加保茶元成(かぼちゃのもとなり)、元の木網(もとのもくあみ)も本作に名が出ており笑いを誘うネタになっている。

個人的に好きなのストーリーが9つ目の噺の「引きずり風呂」だ。当時の吉原には移動風呂があったという異世界の噺。遠山の金さんのように流行の女の生首の刺青を入れた男性が風呂に入っている。実際にはなかった「引きずり風呂」を歌麿が想像して描いた異世界の銭湯。こんなシュールな挿絵を歌麿が書いていたとのかと驚きもある。江戸時代の未来予想異世界は浮世絵カフェに展示中なので遊びに来てください。

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【大河ドラマ~べらぼう】第48話

死の間際まで、書をもって世を耕し続けた蔦屋重三郎の最期

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山姥と金太郎・盃
画:喜多川歌麿
出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム

大河ドラマ「べらぼう」がついに最終回を迎え、蔦重の最期の時が描かれました。最終回でとくに印象的だったのは、仲間たちの出世作を予見させる、さまざまなリクエストを行うシーンでした。最初のリクエストは、滝沢瑣吉(曲亭馬琴)に対するものです。旅先で耳にした「黄表紙ってのは、すっと終わってしまう」という黄表紙ファンの声をヒントに、長編読み物の制作を依頼します。

さらに、同席していた十返舎一九には、誰でも笑える物語を書くよう求めます。これらはいずれも、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』といった後のヒット作を予見させるリクエストでした。また、自らの死を予感して仲間を集めた場面でも、蔦重は「死後に、『あいつは本を作り続けた。死の間際まで書をもって世を耕し続けた』と言われたい」と語り、集まった仲間一人ひとりに最後の願いを託します。山東京伝には「人の性分によって国が分かれた諸国巡りの話=『和荘兵衛後日話』」を、勝川春朗(葛飾北斎)には「音が聞こえてきそうな狂歌集の景色の絵=狂歌絵本『柳の糸』の中の一図『江島春望』」を、朋誠堂喜三二には、蔦重自らが創作した黄表紙『身体開帳略縁起』の手直しなどを依頼します。このほか、脚気で倒れる前に本居宣長のもとを訪ねるシーンも印象的でした。宣長の来訪者記録にも蔦重の名が残っているそうですが、ドラマでは、儒学にはない和学の精神としての「もののあはれ」を江戸に届けたいと訴えます。これは、日本文学の本質として「もののあはれ」の思想を広めた本居宣長の活動を先取りする描写となっていました。そして、最も印象に残ったのは、終生のパートナーである喜多川歌麿が、「こうきたか、というのを描いてほしい」という蔦重のリクエストに応えて描いた絵を見せる場面でした。

歌麿の絵は、山姥と金太郎をモチーフにした「山姥と金太郎・盃」でした。そこに描かれている山姥は恐ろしい鬼婆ではなく、美しい母親として無邪気な子どもを慈しんでいます。歌麿は蔦重に向かって、「これは、おっかさんの種なんだよ。金太郎が俺でさ。おっかさんとこうしたかったってのを、二人に託して描いてみようと思って…」と語ります。母親の亡霊に苦しんできた歌麿の過去を知る蔦重は、思わず「お前、大事ねえのか」と尋ねますが、歌麿は「この先、見たくねえか。この二人がこの後、どうなっていくのか」と返します。そして蔦重が「見てえ」と答えると、歌麿は蔦重の肩に手を置き、「なら、死ぬな」と言います。この言葉は、脚気に苦しみ、死が間近に迫る蔦重を力強く励ます、最高の一言だったと言えるでしょう。そして迎えた最期。蔦重の夢枕に立った巫女姿の九郎助稲荷から死を告げられた蔦重は、「午の刻に迎えが来る」と語り、みの吉の知らせを受けた仲間たちが次々と蔦重のもとへ集まってきます。午の刻を告げる鐘が鳴ると同時に蔦重は息を引き取りますが、大田南畝の「呼び戻すぞ! 蔦重~、俺たちは屁だー!!」という絶叫とともに、皆が一斉に立ち上がり、屁踊りを始めます。すると一瞬、蔦重が死の淵から目を覚まし、「拍子木……、聞こえなぇんだけど」と言葉を発して、物語は幕を閉じました。最後のオチは実に「べらぼう」らしく、これまでの大河ドラマにはなかった異色のエンディングだったと思います。

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【大河ドラマ~べらぼう】第47話

毒をもって毒を制す―。一橋治済を追い詰めた最後の一手。そして、耕書堂で明かされた松平定信の本音

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大谷鬼次の奴江戸兵衛
画:東洲斎写楽

大河ドラマ「べらぼう」ではこれまで、さまざまな悲劇が描かれてきました。

11代将軍と目されてきた徳川家基の鷹狩り最中における急死、平賀源内の獄中死、老中首座・松平武元の急逝、田沼意知の刀傷事件、そして10代将軍・徳川家治の急逝…。
そのいずれにも、悲劇の裏には一橋治済の影がちらついていました。
そこで前話(46話)では、松平定信が治済に正義の鉄槌を下すため、仇討を図りますが失敗。そして、ラストシーンには治済と瓜二つの男が蔦重の前に現れました。
今回の47話では、ドラマの冒頭で男の正体が明かされましたが、その正体はなんと斎藤十郎兵衛でした。
斎藤十郎兵衛とは、阿波徳島藩主蜂須賀家の能役者で、現在では写楽の正体として有力視されている人物です。
その人物をまさか一橋治済の替え玉として描くとは、かなり驚きました。
そして47話では、この替え玉の存在を知った蔦重が、ある大胆な作戦を思いつきます。一方、仇討作戦が失敗に終わり、多くの手下を毒饅頭で殺された定信は、治済の圧に苦しんでいました。
治済は白川松平家の家督の話までもちだし、定信を窮地に追い込みます。そんな定信のもとを蔦重が訪れ、「毒を仕掛けた相手には毒で返す」という驚愕の提案をします。
しかも、その作戦のキーマンとして、治済の実子で11代将軍・徳川家斉の名前を挙げました。家斉の協力を得るための切り札になったのは、前話で治済に毒殺された家斉の乳母・大崎の遺言書でした。遺言書には大崎がこれまでに実行犯として関わった、治済の謀略の数々が暴露されていました。
そして、最後に「上様、どうかお父上様の悪行をお止めくださいませ。あの方を止められるのは、この世にただお一人、上様しかいらっしゃいませぬ」と、命をかけて残した家斉へのメッセージが記されていました。この遺言書は家斉の手に渡り、仇討作戦が再び動き出します。

作戦の舞台となったのは御三卿の一つ、清水家でした。
定信一派は清水家の当主・重好を味方につけ、家斉と治済を招いて茶会を開きます。
饅頭や茶でもてなしますが、治済は体調不良を理由に饅頭に手をつけようとしません。しかし、家斉が治済の饅頭まで平然と食してしまいます。
その様子を見た治済は、茶を一気に飲み干しますが、横で倒れ込む家斉を見て驚愕。治済は「まさか…、もろともに…」と言いながら立ち上がろうとしますが、むなしく崩れ落ちます。
しかし、この毒は眠り薬で、治済は眠っている間に阿波に送られ幽閉されてしまいます。
そして、替え玉の斎藤十郎兵衛を一ツ橋家の当主に収めることで、蔦重の立てた作戦は成就しました。
その後、定信は白河へ戻る前に耕書堂に立ち寄ります。
そして、蔦重に「いキちキどコきキてケみキたカかカったカのコだカ(いちど来てみたかったのだ)」と話し、耕書堂の黄表紙の愛読者だったことを明かします。

さらに、「春町は我が神、蔦屋耕書堂は神々の集う社であった」、「あのこと(春町の切腹)は、わが政、唯一の不覚である」と、恋川春町や耕書堂への本当の想いを語りました。
実際、定信は文学好きで愛読書の「源氏物語」を7回も書き写したり、風刺小説「大名形気」を書いたり絵画も集めていたそうです。
そんな定信が寛政の改革で出版統制を行った矛盾のなかで、定信の本音がチラホラ描かれてきたのも、このドラマのおもしろみの一つでした。そして、次回はいよいよ最終回です。
どんな結末を迎えるか、見逃せません。

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【大河ドラマ~べらぼう】第46話

東洲斎写楽が浮世絵界に華々しくデビュー! 謎の絵師・写楽騒動の裏で、毒饅頭の罠が蔦重へ

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初代中山富三郎の宮城野
画:東洲斎写楽

蔦重&歌麿コンビが復活―。大河ドラマ「べらぼう」46話では、前話でていの説得に心揺さぶられた喜多川歌麿が、ついに蔦重の元に戻りました。これにより、筆が進まなかった絵師たちに活気が戻り、役者絵の描き手「写楽=平賀源内」の噂を広める作戦が大きく前進します。まずは歌麿のリクエストで、役者の実際の顔を観察するため、芝居小屋の稽古場を訪れることに。しかし、歌麿が芝居小屋を訪れて役者絵を出せば、写楽=歌麿とバレてしまいます。そこで、まずは蔦重が芝居小屋に大勢の絵師を連れて行き、後から鶴屋が引き連れた歌麿とその弟子たちが合流。みんなで役者の姿を写し取っていき、写楽の正体を隠しました。そして、大勢の絵師たちの視点で描かれた絵をもとに作成された、写楽の役者絵が完成。28枚が一挙に公開され、東洲斎写楽の名で華々しくデビューしました。写楽の絵は、役者の個性を誇張してリアルにとらえている点が特徴です。芝居好きの江戸庶民には、贔屓の役者のブロマイドのように受け入れられていきました。これは、人物の顔や特徴を誇張して描き、滑稽さや風刺を狙った、現代のカリカチュアのようなものです。ドラマでは歌麿が以前に描いたものの、蔦重から「リアルすぎる」とボツにされた女性のスケッチがモチーフとなり、絵師たちに写楽の絵のイメージとして共有。写楽の絵を生み出すために苦労しながらも、蔦重のもとで仲間たちと楽しそうに絵を仕上げていく歌麿の姿が印象的でした。

「写楽=平賀源内」の噂は、蔦重の目論見通り江戸市中、江戸城内にまで広がり、ついに一橋治済の耳にも入ります。一方、蔦重に平賀源内生存説の噂を広めるよう命じていた松平定信は、これまで治済のもとで暗躍していた大奥御年寄・大崎をスパイとして治済のもとに送り込みます。そして、治済を曽我祭に誘い出すことに成功。定信陣営は芝居町の小屋に潜み、治済と大崎の動向を監視しつつ、人混みに紛れるなか、隙を見て治済を討つ予定でしたが、この陰謀は治済に察知されてしまいます。逆に祭で振舞われた毒饅頭により、定信の手下の者は次々と殺され、スパイとして送り込んだ大崎も毒殺されます。この毒饅頭は、芝居町に出店していた耕書堂でも振舞われ、蔦重も危うく口にすることに。寸でのところで長谷川平蔵に止められ、危機を回避します。定信の陰謀に組した一味として認識され、治済に命を狙われたと知った蔦重は、「俺たち、お武家さんじゃねえんです。どうやって身守れっていうんですか」と、平蔵へ詰め寄ります。そこへ、一人の男が姿を現すことで46話は終了するのですが、その男の顔は治済と瓜二つ。この男の正体は一体何者なのか。本人?替え玉?双子…?今後の展開が楽しみです。

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【大河ドラマ~べらぼう】第45話

曽我祭に仕掛けられた“平賀源内復活”の罠の裏で写楽が誕生。そして、歌麿と蔦重の“業と情”が動き出す

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歌撰恋之部 深く忍恋
画:喜多川歌麿
出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム

これまでの大河ドラマ「べらぼう」では、かつての将軍世子・徳川家基暗殺の黒幕として一橋治済の関与を想起させるシーンが描かれました。そして、そのことに気づいた平賀源内を獄中死に追い込んだ黒幕としても、治済が背後にいる可能性を濃厚に漂わせていました。45話では、このことに疑惑を抱いた松平定信の一派より、蔦重は半ば脅される形で協力を求められ、治済をおびき出す策として、「平賀源内が実は生きている」という噂を世間に広めるよう命じられます。そこで、蔦重が目を付けたのが「曽我祭」です。曽我祭とは、人気役者が山車に乗り、町中を総踊りしながら練り歩くという行事で、江戸の庶民にとっては憧れのスターの素顔が見られる特別な日でした。そこで蔦重は、祭で踊る役者たちの姿を蘭画風の浮世絵に描き、その描き手は平賀源内として世に送り出して源内生存説を広めるという作戦を立てます。さっそく、北尾重政・政演、大田南畝、朋誠堂喜三二らが集められ、蔦重は「源内が描いたような役者絵を世に出したい」と相談。そして、画号をどうするかの話になり、喜三二が口にした「しゃらくさい」をヒントに、蔦重が架空の絵師「写楽」という名前を生み出します。史実の東洲斎写楽は約10か月の短い期間で多くの役者絵を発表したものの、忽然と姿を消した謎の絵師として知られています。その出自や経歴は現在でも謎のままですが、ドラマでは蔦重が考えた架空の絵師として生み出されました。しかし、源内が作る役者絵というのはなかなか難しく、計画は難航します。絵師たちは懸命に源内風の役者絵を考案しますが、蔦重はそのたびにダメ出しを出すため、絵師らの不満は高まるばかり。ついに北尾重政が「やってられっか!付き合いきれねえぜ」と出て行ってしまいます。

そんな状況のなか、政寅が「歌さんなら…」と口にするなど、喜多川歌麿待望論が高まっていきます。一方、歌麿は本屋が自分の作品を褒めるばかりで何もダメ出しをしないことにイラ立っていました。これまでの歌麿は、蔦重からさまざまな注文をつけられ、その難題に応える形で作品を生み出してきたため、ほかの本屋たちに物足りなさを感じていたのです。やはり、このコンビは互いに替えの利かない最強コンビですよね。そして、そのコンビ復活を目指し、ていが単身、「歌撰恋之部」を持参して歌麿の元を訪れます。「歌撰恋之部」は、歌麿が恋心をこめて描いた女性の下絵を元に蔦重が完成させた美人大首絵シリーズ。ていは、「これは蔦屋重三郎からの恋文でございます。正しくは恋文への返事でございます。どうか一目でも見てやってくださいませ」と言って、頭を下げます。そして、歌麿の好みに合うよう髪の毛の細部までこだわりぬき、摺師と大喧嘩しながら完成させたこと、印の位置には蔦重が歌麿の間に上下なく、肩を並べて共に作品を作っていることを歌麿に伝えたいという思いが込められていることを説明。最後に「二人の男の業と情、因果の果てに生み出される絵というものを見てみたく存じます」と本音を話します。この説得に心を動かされたのか、ラストシーンでは歌麿がていと共に蔦重のもとへ現れます。コンビ復活か、写楽=歌麿として描かれるのか、次回がとても楽しみです。

【大河ドラマ~べらぼう】第44話

失意の蔦重に希望をもたらした、平賀源内生存説

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歌撰恋之部 物思恋
画:喜多川歌麿
東京国立博物館 蔵

本草学者、発明家、戯作者、蘭画家として多彩な才能を発揮した、蔦重の人生の師・平賀源内は、安永8年に自ら酒のうえの過ちにより人を斬り殺したと出頭。その1か月後に獄中死したと伝わりますが、なぜ殺人に至ったかなど詳しいことはわかっておらず、また墓碑も遺体もないまま葬儀が行われたことから、根強い生存説があります。大河ドラマ「べらぼう」44話では、この源内生存説を軸に展開されました。ドラマの冒頭、前話で陣痛に襲われたていが死産の後に食事もとれず心身ともに衰弱。蔦重も死産と喜多川歌麿との決裂によるWショックから立ち直れず気力を失い、お店も活気を失っていきました。そんな折、駿府から重田貞一(のちの十返舎一九)が来店。上方で浄瑠璃本などを書いていた貞一は「蔦屋で本を書きたい」と願い出ますが、気力を失っていた蔦重は貞一の力量を認めながらも「よそで書いた方がよい」と断ります。それでも、諦められない貞一は袖の下と言って大きな相良凧を差し出し、凧の絵柄を描いたのは平賀源内で、源内は相良で生きていると話します。失意のどん底にあった蔦重とていは、この話をきっかけに少しずつ気力を取り戻していきます。真意を確かめるため、蔦重はまず蘭学者の杉田玄白のもとを訪れます。そこで、日本初の西洋医学解剖書として有名な「解体新書」の挿絵を描いたのは源内の蘭画の弟子・小田野直武で、源内が死んだ翌年に不審死を遂げたことを聞きます。そのため蔦重とていは、直武の死は源内先生を逃したことが原因ではと疑い始めます。その後、源内とゆかりのある人々を訪ね歩き、源内生存の可能性を探るなか、大田南畝から源内に託されたという絵「西洋婦人図」を見せられ、「今も絵師として生存しているのでは…」と希望をもち始めます。

一方、歌麿は吉原で版元たちに一席もたせ、「一番派手に遊んだところから仕事を引き受ける」という条件を出し、座敷で紙花をばらまかせました。これは歌麿流の吉原への恩返しでしたが、歌麿自身は気持ちが晴れず、どこか影を帯びた様子。ちょうどその頃、蔦屋では前話で歌麿が「恋心を描いた」と言って残した大首絵の下絵を完成させて販売することを、ていが提案。色も柄も決まっていないが、ていは「旦那様なら歌さんが使いそうなお色、柄など手に取るようにおわかりになるのではないですか」と、販売を促します。この絵は「歌撰恋之部」と題された、歌麿の代表作とも言われている美人大首絵の5枚揃いシリーズですが、ドラマでは「歌麿の絵はやはり蔦屋あってこそ」ということを歌麿に感じてもらい、二人の仲を修復したいという、ていの想いが込められたものとして描かれました。この想いを汲んだかのように、鶴屋が吉原の宴席で歌麿に絵を見せたものの、歌麿は「こんなものは紙クズ」と破り捨てました。ていの願いは歌麿に届かずでしたが、蔦重と歌麿の間にはこの先もまだまだ何か展開があるような予感がします。また、ドラマのラストで蔦重は思わぬ形で松平定信と再会。その場には三浦庄司、長谷川平蔵、柴野栗山、高岳といった錚々たる顔ぶれがおり、源内の死に深く携わったと思われる人物が同じ敵である可能性を匂わされ、宿怨を超えて共に戦うことを提案されます。今後、どんな展開が待っているか見逃せません。

【大河ドラマ~べらぼう】第43話

蔦重の鈍感が生んだすれ違いの結末。寛政改革の終焉と名コンビの終わり

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大文字楼多賀袖
画:喜多川歌麿
浮世絵カフェ蔦重 蔵

これが蔦重との最後の仕事―。大河ドラマ「べらぼう」43話では、歌麿が蔦重への複雑な心境(恋心)を抱えながら女郎絵を50枚描き続けた末に、蔦重と決別するまでが描かれました。ドラマの冒頭、蔦重は歌麿を伴って吉原を訪れます。華やかだった吉原は老中・松平定信の寛政の改革により完全に勢いを失い、茶屋の親父から出てくる言葉は「競って金使って見栄をはるようなお客もいなくなっちまった」「なにもかも倹約、倹約…」と、愚痴ばかり。蔦重は、歌麿の絵の力で再び吉原の活気を取り戻すことを決意します。一方、歌麿は花魁たちを熱心にスケッチしながら、女性に対する観察眼をいよいよ鋭くしていきます。なかでも恋する女性の表情に魅了され、やがて恋する女性の姿を描くようになるのですが、蔦重はあちらこちらで女性たちをじっと観察する歌麿を見て、「あれはいい女がいねえか探しているに違いない。亡き妻・きよに代わる女性を探している」と勘違い。蔦重のこういった“鈍感さ”が歌麿をイラつかせた原因の一つだったと思われます。そして、蔦重が歌麿の想いに気づかぬまま時が経ったある日、版元の鱗形屋孫兵衛の長男・長兵衛が訪ねてきます。来訪の理由は、人気黄表紙の「金々先生栄花夢」の板木を譲りたいという蔦重にとって非常に喜ばしい話でしたが、話の途中で「お前、歌麿を囲い込むのをやめたんだろ」と、思いがけない言葉を投げかけられます。

そして、「西村屋へ養子に出ていた弟が、これでやっと歌麿と仕事ができる」と話していたことを告げます。「そんな話は聞いていない」と驚いた蔦重は、真意を明らかにするために歌麿の元を訪れ、問い詰めます。すると歌麿は、「恋心」をテーマに描いた美人大首絵を渡し、「俺が恋をしていたから描いた」と言います。これに対し、蔦重は「お前、おきよさんみたいな人を見つけたのか!」と、歌麿の想いを知らずにまた傷つけてしまいます。そして、二人の溝は深まり、歌麿は「俺、蔦重とはもう組まねえ」と告げ、決別を宣言します。これにより、ついに蔦重&歌麿の名コンビが解消。さらに、蔦重が帰宅すると今度は妻・ていが突然の陣痛に襲われ、母子ともに命の危険に。悲劇が次々と蔦重を襲ってきました。一方、これまで蔦重を苦しめてきた定信にも大きな挫折が待っていました。ロシア問題を解決した功績で大老に就任するという密約を信じ、将軍・家斉に「将軍補佐と老中の職を解き、職務を減らしたい」と願い出ます。当然、職務を解かれる代わりに大老職を命じられるものと思い込んでいたが、家斉から出た言葉は「将軍補佐および老中の役目を許すこととする。では越中の守、これよりは政にはかかわらず、ゆるりと休むがよい」という無情なもの。家斉や本多忠籌らの罠にはまり、定信は政の表舞台から退けられてしまいます。これで定信による寛政の改革が終焉を迎え、蔦重も歌麿との蜜月時代が終わり、ドラマも新たな時代に突入しました。

【大河ドラマ~べらぼう】第42話

看板娘ブームで推し活が江戸を席巻!その裏で、歌麿が蔦重との別れを決意

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難波やおきた
画:喜多川歌麿
浮世絵カフェ蔦重 蔵

「もう蔦重とは終わりにします。」大河ドラマ「べらぼう」42話のラストで、喜多川歌麿がはいた言葉です。この二人の間に何があったのか―。まず、ドラマの序盤で蔦重の母・つよが亡くなり、これまで歌麿の心の支えになっていた大きな存在を失います。しかし、この頃の蔦重のビジネスには追い風が吹き、書物問屋として再スタートした蔦屋では新作の黄表紙や狂歌集、書物などが売り出され、身上半減からの店の立て直しへ向けて好スタートをきっていました。なかでも歌麿の新作「看板娘」を描いた錦絵が大評判となり、江戸で看板娘ブームが巻き起こります。看板娘とは、町で評判の美人たちのこと。従来の役者絵や花魁絵、武者絵などとは異なり、庶民が実際に会える娘を描いたことが画期的でした。とくに水茶屋・難波屋のおきた、せんべい屋・高島屋のおひさ、吉原の芸者・豊ひなの三人はアイドル的な人気を得て、一目見たいという江戸っ子たちが店に押しかけてきました。そして、おきたが淹れる茶や、おひさ渡しのせんべいが驚くほど高額の特別価格になっても太客がつくような熱狂ぶりとなりました。まさに現代の「推し活」のような現象が起き、江戸の町も活気づき、蔦重も看板娘シリーズの経済効果に大きな手ごたえを感じていました。そこで、蔦重は看板娘を一気に増やしていきたいと、歌麿により多くの娘を描くように要求します。しかし、歌麿一人で描ける数には限りがあります。そこで、蔦重は弟子に描かせ、歌麿は仕上げに専念するということを提案します。これに対し、歌麿は「一枚一枚、心をこめて描きたい」という思いはありましたが、しぶしぶ蔦重の提案に従います。そんな折、看板娘の評判を聞いて偵察に赴いた本多忠籌が、看板娘の販売する商品が本来の価格をはるかに超える高額で売買されていることに驚愕。これを聞いた老中・松平定信は物価高騰の原因を作ると問題視し、「女郎以外の女の名を絵に記すことを禁ずる」というお触れを出します。

またしても定信に横やりを入れられ、規制をかけられた蔦重ですが、「素人の娘ではなく吉原の遊女ならば名前を入れていい」わけだからと、歌麿に女郎の大首絵の揃いもの(50枚)描かせ、その売り上げを吉原から借りていた借金の返済に充てるという話をまとめます。しかし、この話をまとめるにあたり、蔦重は歌麿へ一切相談していません。そのため、歌麿は「借金のかたに俺を売ったってことか!」と激怒します。これに対して蔦重は、ていが妊娠したことを告げ、「まもなく子が生まれるから新しい売れ筋を作りたい」と頭を下げます。しかし、蔦重に密かな恋心をもつ歌麿の心中は複雑だったことでしょう。自分の気持ちを押し殺しながら仕事を引き受けたものの、この仕事を最後に蔦重とは終わりにすることを静かに決意してしまいます。一方、蔦重を追い込んできた定信にも不穏な影が差し始めます。ドラマの冒頭では、蝦夷地にロシアの船が現れて通商を望んできたり、天皇が父に「太上天皇」の尊号を贈る意向を示したことから京都との対立を深めたりと、定信の頭を悩ますことが続発。これらの問題に強硬な態度をとる定信に対し、幕府内でも定信に対する不満が高まっていきます。いよいよ、定信の権勢にも陰りが…。今後は、幕閣の動きからも目が離せなくなってきました。