小野𦽳譃字盡(おのばかむらうそじずくし)

作:式亭三馬 (1776年〜1822年)
刊: 文化3年
板元:青雲堂/英/文藏

式亭三馬の言語感覚の鋭さを示す作品として、『浮世風呂』と並び注目されるのが、小野𦽳譃字盡(おのばかむらうそじづくし)である。江戸後期の寺子屋では往来物「小野篁歌字尽」(おのたかむらうそじづくし;著者不明)を現代でいえば国語の教科書として「文字を短歌と風俗」学んだ。これをパロディしたのが小野𦽳譃字盡(おのばかむらうそじづくし)である。

本作は文化期に刊行された滑稽本の一種であり、「嘘字」「偽字」(うそ・言い違い・誤用)といった言語現象を主題とした点において、極めて特異な位置を占める。

タイトルの𦽳(ばかむら)という文字は小野「篁」に愚かをミックスした嘘字。篁の名前をパロディした創作文字で実際に𦽳(ばかむら)という文字はなかった。これが譃字である。

題名に見える「𦽳譃(ばかむらうそ)」とは、無知や思い込みから生じる誤った言葉遣いを指し、三馬はこれを戯画的に提示することで、江戸庶民の言語生活の実態を浮かび上がらせている。作品中には、知識をひけらかそうとする人物が誤った漢語を用いて失笑を買う場面や、意味を取り違えた言葉が会話の中で連鎖的に拡大していく様子が描かれ、読者はその滑稽さを楽しむと同時に、言葉と知識の関係について自覚的に意識させられる構造となっている。これが偽字である。

本作の重要性は、単なる言葉遊びにとどまらず、江戸社会における「教養」の受容過程を可視化している点にある。寺子屋教育の普及により文字知識が広がる一方で、それが必ずしも正確な理解を伴わない場合が多かったことは、本作に描かれる誤用の多様さからも窺える。すなわち三馬は、言語の誤りを笑いへと転化しつつ、知識の階層差や模倣の心理といった社会的側面を鋭く描き出しているのである。

このような視点は、『浮世風呂』における会話描写とも深く連動している。同作においても、登場人物たちはしばしば言い誤りや聞き違いを繰り返しながら会話を展開させており、そのズレが笑いを生むと同時に、人物の性格や社会的立場を示す手がかりとなっている。したがって『小野𦽳譃字盡』は、『浮世風呂』の言語表現を理論的に裏付ける作品とも位置付けられ、式亭三馬文学の言語的基盤を理解するうえで不可欠な資料である。

さらに、本作は江戸語の具体的な用例を豊富に含む点において、近世語研究の資料としても高い価値を有する。誤用という形で提示される言葉の数々は、当時の人々がどのように漢語や専門語を受容し、日常会話の中で変形させていったかを示す貴重な証言であり、三馬の観察眼の鋭さを改めて裏付けるものである。

嘘字尽くしの最後は自らの式亭三馬の名前で嘘字をつくっています。3つの馬が並ぶ嘘字をつくってジョークで締めくくっている。江戸文学の自由度の高さを感じます。現代の出版業ではフォントがないとPCでは表示できませんが、嘘字。偽字のアイデアが成立するのは彫師が自由に文字を彫ることができる木版画だからこそ。現在のPCではフォントがないので表現できない書籍ですね。

補足

■小野バカムラウソ字尽[小野の馬鹿村虚字尽]
(文化3年・原装本)
【判型】中本1冊。縦180粍。
【作者】式亭三馬(游戯堂)作・序。楽亭馬笑(楽山人・楽斎)校。歌川豊国(三世)画。
【年代等】文化3年1月刊。
[板元]上総屋忠助原板。西村屋与八後印。

【備考】分類「滑稽本」。『〈道外節用〉小野バカムラウソ字尽[小野の馬鹿村虚字尽]』は、『小野篁歌字尽』に似せて作った本文を始め、語彙を中心とする種々のパロディを集めた往来物風の滑稽本。本文は「+春(うわき)・+夏(げんき)・+秋(ふさぎ)・+冬(いんき)・+暮(まごつき)」のように字形の似た俗字を集め、さらに「春うはき夏はげんきで秋ふさぎ、冬はいんきで暮はまごつき」といった狂歌を添える。また、後半の「編冠構字尽」「五性名頭字尽」「異類異名尽」「妄書(むだがき)かなづかひ」「手の筋早見」「どういふもんだ痕紋図説」「人相小鑑」「人相図論」「諸流小謡」のほか、前付・頭書等に種々の戯文を載せるが、「胸算用早割乃法」「じれ子さん」「年中通用文章」「紋づくし」「〈大篆・小篆〉似字尽」「無礼不躾方」など、いずれも往来物のもじりである。

風流無くてななくせ[遠眼鏡](ふうりゅうなくてななくせ とおめがね)

版元 耕書堂 (蔦屋重三郎 2代目)
絵師 葛飾北斎
制作年 享和年間/1801年~1804年
復刻版 大正期

耕書堂では非常に珍しい葛飾北斎(1760~1849)が絵師をつとめた大首絵の美人図です。初代蔦屋重三郎と北斎は草双紙で挿絵の仕事が多かったが、2代目蔦屋重三郎と北斎は初代に負けじと挑戦したのが本図の大首絵だったのでしょうか。
「可候」と名乗っていた時期の作で、絵の右上に「可候画」の落款があります。日傘を手にしたお歯黒で眉をそり落とした武家の妻と、島田髷の若い娘が大きく描かれています。二人はおそらく母娘という設定です。娘は和製と思われる朱塗りの遠眼鏡をのぞいています。18世紀の江戸では舶来品として望遠鏡が人気でした。
「ななくせ」というタイトルから、女性たちが無意識のうちに出してしまう「癖」を主題にした7枚揃とも考えられますが、他に「ほおずき」と通称される図が知られているだけです。「ほおずき」には手鏡が描かれており、新奇なガラス製品をあしらうシリーズものだったのかもしれません。本図は、しかめっ面で遠眼鏡に夢中になっている娘の「癖」を、母親がたしなめている場面とも解釈されます。なぜなら、川柳もたしなんだ北斎は次のような句を詠んだからです。「皮切りといふ面で見る遠眼鏡」(初めてお灸をすえられた時のように顔を歪ませて覗く望遠鏡)

参考 文化遺産オンライン