蔦重の世界に浸り浮世絵を眺めながら
こだわりコーヒーが飲めるカフェ
- 浅草 吉原 浮世絵カフェ 蔦重 -




大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の主人公である蔦屋重三郎は新吉原大門前の五十間通り左側に店を構えていました。
浮世絵カフェは台東区千束4丁目11番地と蔦屋重三郎が耕書堂のほぼ発祥地に所在します。正確な場所は不明ながら「吉原細見」の地図を見る限り、浮世絵カフェのある場所が耕書堂のあった場所の近くだと推測されます。
浮世絵カフェでは耕書堂が扱っていた書籍や浮世絵を展示販売します。蔦重と絵師・戯作者の北尾重政・恋川春町・朋誠堂喜三二・山東京伝・歌麿・写楽・北斎たちがつくった江戸時代の「オリジナル」和書や、浮世絵を常時30~作品ほど展示します。あわせて現代摺師彫師の作品を展示販売します。江戸時代から変わらない伝統技術を継承している本物の手摺木版画を見て、触って購入できます。
入館無料です。浮世絵カフェは名前そのままで、浮世絵を愉しみながらおいしいカフェタイムを過ごしていただく店舗です。ハンドドリップ珈琲や自然栽培のお茶とあわせて本物の「手摺木版画」の世界を体験してください。
ニュース
浮世絵今昔~コラム
- 小野𦽳譃字盡(おのばかむらうそじずくし) 2026年5月13日
作:式亭三馬 (1776年〜1822年)刊: 文化3年板元:青雲堂/英/文藏 式亭三馬の言語感覚の鋭さを示す作品として、『浮世風呂』と並び注目されるのが、小野𦽳譃字盡(おのばかむらうそじづくし)である。江戸後期の寺子屋では往来物「小野篁歌字尽」(おのたかむらうそじづくし;著者不明)を現代でいえば国語の教科書として「文字を短歌と風俗」学んだ。これをパロディしたのが小野𦽳譃字盡(おのばかむらうそじづくし)である。 本作は文化期に刊行された滑稽本の一種であり、「嘘字」「偽字」(うそ・言い違い・誤用)といった言語現象を主題とした点において、極めて特異な位置を占める。 タイトルの𦽳(ばかむら)という文字は小野「篁」に愚かをミックスした嘘字。篁の名前をパロディした創作文字で実際に𦽳(ばかむら)という文字はなかった。これが譃字である。 題名に見える「𦽳譃(ばかむらうそ)」とは、無知や思い込みから生じる誤った言葉遣いを指し、三馬はこれを戯画的に提示することで、江戸庶民の言語生活の実態を浮かび上がらせている。作品中には、知識をひけらかそうとする人物が誤った漢語を用いて失笑を買う場面や、意味を取り違えた言葉が会話の中で連鎖的に拡大していく様子が描かれ、読者はその滑稽さを楽しむと同時に、言葉と知識の関係について自覚的に意識させられる構造となっている。これが偽字である。 本作の重要性は、単なる言葉遊びにとどまらず、江戸社会における「教養」の受容過程を可視化している点にある。寺子屋教育の普及により文字知識が広がる一方で、それが必ずしも正確な理解を伴わない場合が多かったことは、本作に描かれる誤用の多様さからも窺える。すなわち三馬は、言語の誤りを笑いへと転化しつつ、知識の階層差や模倣の心理といった社会的側面を鋭く描き出しているのである。 このような視点は、『浮世風呂』における会話描写とも深く連動している。同作においても、登場人物たちはしばしば言い誤りや聞き違いを繰り返しながら会話を展開させており、そのズレが笑いを生むと同時に、人物の性格や社会的立場を示す手がかりとなっている。したがって『小野𦽳譃字盡』は、『浮世風呂』の言語表現を理論的に裏付ける作品とも位置付けられ、式亭三馬文学の言語的基盤を理解するうえで不可欠な資料である。 さらに、本作は江戸語の具体的な用例を豊富に含む点において、近世語研究の資料としても高い価値を有する。誤用という形で提示される言葉の数々は、当時の人々がどのように漢語や専門語を受容し、日常会話の中で変形させていったかを示す貴重な証言であり、三馬の観察眼の鋭さを改めて裏付けるものである。 嘘字尽くしの最後は自らの式亭三馬の名前で嘘字をつくっています。3つの馬が並ぶ嘘字をつくってジョークで締めくくっている。江戸文学の自由度の高さを感じます。現代の出版業ではフォントがないとPCでは表示できませんが、嘘字。偽字のアイデアが成立するのは彫師が自由に文字を彫ることができる木版画だからこそ。現在のPCではフォントがないので表現できない書籍ですね。 補足 ■小野バカムラウソ字尽[小野の馬鹿村虚字尽](文化3年・原装本)【判型】中本1冊。縦180粍。【作者】式亭三馬(游戯堂)作・序。楽亭馬笑(楽山人・楽斎)校。歌川豊国(三世)画。【年代等】文化3年1月刊。[板元]上総屋忠助原板。西村屋与八後印。 【備考】分類「滑稽本」。『〈道外節用〉小野バカムラウソ字尽[小野の馬鹿村虚字尽]』は、『小野篁歌字尽』に似せて作った本文を始め、語彙を中心とする種々のパロディを集めた往来物風の滑稽本。本文は「+春(うわき)・+夏(げんき)・+秋(ふさぎ)・+冬(いんき)・+暮(まごつき)」のように字形の似た俗字を集め、さらに「春うはき夏はげんきで秋ふさぎ、冬はいんきで暮はまごつき」といった狂歌を添える。また、後半の「編冠構字尽」「五性名頭字尽」「異類異名尽」「妄書(むだがき)かなづかひ」「手の筋早見」「どういふもんだ痕紋図説」「人相小鑑」「人相図論」「諸流小謡」のほか、前付・頭書等に種々の戯文を載せるが、「胸算用早割乃法」「じれ子さん」「年中通用文章」「紋づくし」「〈大篆・小篆〉似字尽」「無礼不躾方」など、いずれも往来物のもじりである。More - 風流無くてななくせ[遠眼鏡](ふうりゅうなくてななくせ とおめがね) 2026年5月10日
版元 耕書堂 (蔦屋重三郎 2代目)絵師 葛飾北斎制作年 享和年間/1801年~1804年復刻版 大正期 耕書堂では非常に珍しい葛飾北斎(1760~1849)が絵師をつとめた大首絵の美人図です。初代蔦屋重三郎と北斎は草双紙で挿絵の仕事が多かったが、2代目蔦屋重三郎と北斎は初代に負けじと挑戦したのが本図の大首絵だったのでしょうか。「可候」と名乗っていた時期の作で、絵の右上に「可候画」の落款があります。日傘を手にしたお歯黒で眉をそり落とした武家の妻と、島田髷の若い娘が大きく描かれています。二人はおそらく母娘という設定です。娘は和製と思われる朱塗りの遠眼鏡をのぞいています。18世紀の江戸では舶来品として望遠鏡が人気でした。「ななくせ」というタイトルから、女性たちが無意識のうちに出してしまう「癖」を主題にした7枚揃とも考えられますが、他に「ほおずき」と通称される図が知られているだけです。「ほおずき」には手鏡が描かれており、新奇なガラス製品をあしらうシリーズものだったのかもしれません。本図は、しかめっ面で遠眼鏡に夢中になっている娘の「癖」を、母親がたしなめている場面とも解釈されます。なぜなら、川柳もたしなんだ北斎は次のような句を詠んだからです。「皮切りといふ面で見る遠眼鏡」(初めてお灸をすえられた時のように顔を歪ませて覗く望遠鏡) 参考 文化遺産オンラインMore - 夫従以来記(それからいらいき) 2026年4月22日
~江戸時代の未来予想パロディ~ 板元 耕書堂 戯作者 竹杖為軽 たけづえ すがる 画 喜多川歌麿 刊行 1784年 天明四年 黄表紙 上中下の3巻 蔦屋重三郎がプロデュースした黄表紙。未来の江戸をパロディで紹介したストーリーなのだが現代人が読むと当時は本当にあったことなのか?と錯覚する内容も。江戸時代のユーモアを直球で感じることができる作品だ。 本作の戯作者 竹杖為軽(本名 森嶋中良)(1756?~1810)は平賀源内の弟子で、狂歌師、戯作者として、森羅万象、万象亭などの名前でも知られる。挿絵は20代の喜多川歌麿。 竹杖は奥外科医桂川家3代目と寄合医師大八木家4代目の家系で蘭学者としても活躍した。源内も嫉妬するほど戯作の才能もあったようで、源内が獄死する前に叱責を得て確執が生じたまま竹杖と源内は離別した。蘭学にも注力して『紅毛雑話』、寛政2年に『万国新話』『琉球談』など刊行した。1801年に二代目風来山人を襲名、文化5年より二代目福内鬼外を名乗って平賀源内の門人として人生を終えた。 蔦屋重三郎は竹杖の才能を早くから見抜き歌麿とのコンビで本作を刊行した ストーリーの起点は聖徳太子の「未来記」までさかのぼる。未来記をパロディとした恋川春町の黄表紙「無益委記(むだいき)」は好評を博した。さらに恋川春町にインスパイヤされた朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)(1735~1813)も「長生見度記(ながいきみたいき)」で未来記を書いている。それにならって本作「従夫以来記(それからいらいき)」(1784刊)を書いたとも説明している。本作ではただの未来予想図ではなく、当時の江戸を通と穿をパロディした異世界の作品となっている。吉原連(狂歌のあつまり)で竹杖と親交が篤かった四方赤良(よものあから)(大田南畝(おおたなんぽ))、朱楽菅江(あけらかんこう)、加保茶元成(かぼちゃのもとなり)、元の木網(もとのもくあみ)も本作に名が出ており笑いを誘うネタになっている。 個人的に好きなのストーリーが9つ目の噺の「引きずり風呂」だ。当時の吉原には移動風呂があったという異世界の噺。遠山の金さんのように流行の女の生首の刺青を入れた男性が風呂に入っている。実際にはなかった「引きずり風呂」を歌麿が想像して描いた異世界の銭湯。こんなシュールな挿絵を歌麿が書いていたとのかと驚きもある。江戸時代の未来予想異世界は浮世絵カフェに展示中なので遊びに来てください。More - 【大河ドラマ~べらぼう】第48話 2025年12月17日
死の間際まで、書をもって世を耕し続けた蔦屋重三郎の最期 画像 山姥と金太郎・盃画:喜多川歌麿出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム 大河ドラマ「べらぼう」がついに最終回を迎え、蔦重の最期の時が描かれました。最終回でとくに印象的だったのは、仲間たちの出世作を予見させる、さまざまなリクエストを行うシーンでした。最初のリクエストは、滝沢瑣吉(曲亭馬琴)に対するものです。旅先で耳にした「黄表紙ってのは、すっと終わってしまう」という黄表紙ファンの声をヒントに、長編読み物の制作を依頼します。 さらに、同席していた十返舎一九には、誰でも笑える物語を書くよう求めます。これらはいずれも、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』といった後のヒット作を予見させるリクエストでした。また、自らの死を予感して仲間を集めた場面でも、蔦重は「死後に、『あいつは本を作り続けた。死の間際まで書をもって世を耕し続けた』と言われたい」と語り、集まった仲間一人ひとりに最後の願いを託します。山東京伝には「人の性分によって国が分かれた諸国巡りの話=『和荘兵衛後日話』」を、勝川春朗(葛飾北斎)には「音が聞こえてきそうな狂歌集の景色の絵=狂歌絵本『柳の糸』の中の一図『江島春望』」を、朋誠堂喜三二には、蔦重自らが創作した黄表紙『身体開帳略縁起』の手直しなどを依頼します。このほか、脚気で倒れる前に本居宣長のもとを訪ねるシーンも印象的でした。宣長の来訪者記録にも蔦重の名が残っているそうですが、ドラマでは、儒学にはない和学の精神としての「もののあはれ」を江戸に届けたいと訴えます。これは、日本文学の本質として「もののあはれ」の思想を広めた本居宣長の活動を先取りする描写となっていました。そして、最も印象に残ったのは、終生のパートナーである喜多川歌麿が、「こうきたか、というのを描いてほしい」という蔦重のリクエストに応えて描いた絵を見せる場面でした。 歌麿の絵は、山姥と金太郎をモチーフにした「山姥と金太郎・盃」でした。そこに描かれている山姥は恐ろしい鬼婆ではなく、美しい母親として無邪気な子どもを慈しんでいます。歌麿は蔦重に向かって、「これは、おっかさんの種なんだよ。金太郎が俺でさ。おっかさんとこうしたかったってのを、二人に託して描いてみようと思って…」と語ります。母親の亡霊に苦しんできた歌麿の過去を知る蔦重は、思わず「お前、大事ねえのか」と尋ねますが、歌麿は「この先、見たくねえか。この二人がこの後、どうなっていくのか」と返します。そして蔦重が「見てえ」と答えると、歌麿は蔦重の肩に手を置き、「なら、死ぬな」と言います。この言葉は、脚気に苦しみ、死が間近に迫る蔦重を力強く励ます、最高の一言だったと言えるでしょう。そして迎えた最期。蔦重の夢枕に立った巫女姿の九郎助稲荷から死を告げられた蔦重は、「午の刻に迎えが来る」と語り、みの吉の知らせを受けた仲間たちが次々と蔦重のもとへ集まってきます。午の刻を告げる鐘が鳴ると同時に蔦重は息を引き取りますが、大田南畝の「呼び戻すぞ! 蔦重~、俺たちは屁だー!!」という絶叫とともに、皆が一斉に立ち上がり、屁踊りを始めます。すると一瞬、蔦重が死の淵から目を覚まし、「拍子木……、聞こえなぇんだけど」と言葉を発して、物語は幕を閉じました。最後のオチは実に「べらぼう」らしく、これまでの大河ドラマにはなかった異色のエンディングだったと思います。More
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