蔦重の世界に浸り浮世絵を眺めながら
こだわりコーヒーが飲めるカフェ

- 浅草 吉原 浮世絵カフェ 蔦重 -
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May 2, 2018 by James Wright

Three Remarkable Shipwreck Stories from History
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May 22, 2018 by Letizia Biafore

Day Twenty Eight: The First Mountain Pass
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Jun 9, 2018 by Delinda Cammarata

What’s The Future Of Blogging Platforms?
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大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の主人公である蔦屋重三郎は新吉原大門前の五十間通り左側に店を構えていました。
浮世絵カフェは台東区千束4丁目11番地と蔦屋重三郎が耕書堂のほぼ発祥地に所在します。正確な場所は不明ながら「吉原細見」の地図を見る限り、浮世絵カフェのある場所が耕書堂のあった場所の近くだと推測されます。
浮世絵カフェでは耕書堂が扱っていた書籍や浮世絵を展示販売します。蔦重と絵師・戯作者の北尾重政・恋川春町・朋誠堂喜三二・山東京伝・歌麿・写楽・北斎たちがつくった江戸時代の「オリジナル」和書や、浮世絵を常時30~作品ほど展示します。あわせて現代摺師彫師の作品を展示販売します。江戸時代から変わらない伝統技術を継承している本物の手摺木版画を見て、触って購入できます。

入館無料です。浮世絵カフェは名前そのままで、浮世絵を愉しみながらおいしいカフェタイムを過ごしていただく店舗です。ハンドドリップ珈琲や自然栽培のお茶とあわせて本物の「手摺木版画」の世界を体験してください。


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蔦屋重三郎と絵師と戯作家

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浮世絵今昔~コラム

  • 甘藷百珍(いもひゃくちん) 2026年6月11日甘藷百珍(いもひゃくちん)
    書名:『甘藷百珍』 刊行年 文化13 もしくは寛政11年(1799年) 諸説あり板元〈江戸〉鶴屋/金助 〈京〉堺屋/嘉七 〈大阪〉塩屋/長兵衛 〈大阪〉塩屋/喜助作者:浪華の文人 珍古楼主人(ちんころうしゅじん) • 内容:サツマイモを用いた料理約123種を紹介 • 分類:江戸時代の「百珍物」 【概要】 『甘藷百珍(かんしょひゃくちん)』は、江戸時代後期の寛政11年(1799年)に刊行された、サツマイモ(甘藷)料理を集めた料理書です。※「百珍物」と呼ばれる料理本の一つで、日本の食文化史を知るうえで重要な書物として知られています。『甘藷百珍』には単なる料理法だけでなく、 食材の選び方 調理の火加減 盛り付け 酒席や季節に応じた献立 なども記されており、江戸後期の豊かな食文化と美意識を伝えています。当時の庶民の食生活を知る貴重な史料です。 焼芋は江戸庶民の人気のおやつであり、 「栗(九里)より(四里)うまい十三里」という売り声で知られていました。 サツマイモが救荒作物から日常食やご馳走へと変化した過程を示しており江戸人の創意工夫を垣間見れます。 さつまいものレシピを4カテゴリーに分類して123種紹介している。 奇品 (めずらしい料理)63品 尋常品(一般的な料理) 21品 妙品(くふうした料理) 28品 絶品 (おすすめ料理)11品 ※「百珍物」とは、一つの食材について多種多様な料理法を紹介する料理書で、『豆腐百珍』(1782年)の流行に続いて出版されました。※ 書名 刊行年 主な食材 『豆腐百珍』 1782年 豆腐 『万宝料理秘密箱』 1785年 各種料理 『甘藷百珍』 1799年 サツマイモ 『蒟蒻百珍』 1846年 コンニャク 当店、浮世絵カフェでは絶品から「いも田楽」と奇品から「御手洗いも」を再現してご提供しております。 ■いも田楽 (絶品)レシピ 「甘藷を蒸し、皮を去り、寸ばかりに切り、串にさし、味噌を塗りて焼く。」 サツマイモを蒸す。 皮をむく。 一寸(約3cm)ほどの大きさに切る。 串に刺す。 味噌を塗る。 炭火で香ばしく焼く。 ■御手洗芋(奇品) レシピ 「生にて擦り、麺粉少し入れ、金柑の大さに取りて蒸しあげ、青竹の串に五つ宛さし、砂糖豆油つけ焼きにする」 1 生のサツマイモをすりおろす。 2  小麦粉(うどん粉)を少量加える。 3  金柑ほどの大きさに丸める。 4  蒸し上げる。 5  青竹の串に5個ずつ刺す。 6  砂糖醤油をつけながら焼く。 甘藷百珍 出典 国書データベース
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  • 「青楼後朝雨」(せいろう きぬぎぬのあめ) 2026年6月6日「青楼後朝雨」(せいろう きぬぎぬのあめ)
    版元;蔦屋重三郎画師;栄松斎長喜刊行年;寛政4年から10年 当店の蔵書は昭和年代の複製出典;画像はボストン博物館 『青楼後朝雨』 は、寛政期を代表する浮世絵師・栄松斎長喜による美人画である。描かれた場所は大店の松葉屋の花魁、禿達の朝の様子を描いたようです。後朝の花魁の気持ちを代弁したようなウエット的(雨)な発句が寄せてあり、題名の後朝の雨につながっているようです。「後朝(きぬぎぬ)」とは男女が契りを交わした翌朝を意味し、平安文学以来の恋愛表現として広く知られていた。本図は吉原遊郭を舞台に、客との別れの後に訪れるけだるく物寂しい朝の情景を描いている。 この作品は単なる「美人画」ではなく、吉原文化の物語性を一枚の画面に凝縮した作品として評価できます。 「後朝(きぬぎぬ)」とは本来、 遊客が帰る朝 男女が別れる朝 交歓の余韻が残る時間 を意味します。江戸の吉原では、客は明け六つ(早朝)まで滞在し、その後に大門から帰りました。 長喜はこの瞬間を、 雨 朝の静寂 女性の仕草 によって詩的に表現しています。雨は単なる気象表現ではなく、「恋の名残」「別離の寂しさ」を象徴していると考えられます。遊女の心に残る恋の余韻や別離の哀感を象徴する。こうした情緒性は、華やかな吉原文化の裏側にある人間の感情を描き出したものとして高く評価される。 余談ですが、後朝をテーマにした和歌が平安時代の源氏物語や万葉集などに多数掲載されています。「後朝の文(ふみ)」と言って、帰宅後に男性から女性に手紙や和歌を送る風習がありました。江戸時代でも廓の女郎がマブと手紙のやりとりをしていたようです。 源氏物語から後朝の文の一例。 見てもまた逢ふ夜まれなる夢のうちに やがてまぎるる我が身ともがな これは、光源氏が義母と禁断の恋愛での光が後朝に詠んだものです。 【栄松斎長喜】 長喜は鳥山石燕門下に学び、喜多川歌麿と同門の絵師であった。出自も年齢も不明確で謎多き絵師でした。歌麿が女性の表情や心理を大首絵によって追求したのに対し、長喜は全身像による優雅な姿態表現を得意とした。細長い首、しなやかな身体、流れるような衣文線は長喜独自の様式であり、本図にもその特色が顕著にみられる。 長喜は版元・蔦屋重三郎に見出され、歌麿・写楽と並ぶ重要な絵師として売り出された。ポスト歌麿の最有力候補だった。本図も蔦屋が推進した寛政期美人画の流れのなかで生み出された代表作の一つであり、吉原文化と浮世絵出版文化の成熟を示す貴重な作品です。
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  • 「梅樹下の馬」(ばいじゅかのうま) 2026年5月25日「梅樹下の馬」(ばいじゅかのうま)
    画工 北尾重政版元 不明刊行年 不明 私が個人的にも好む清々しい錦絵です。満開の梅が咲き乱れる初春の水辺で、毛色の異なる3頭の馬がのどかに戯れる様子を描いた牧歌的な作品です。梅の香り、爽やか水風を感じさせる配色が素晴らしい。 見どころ:馬の毛並みやふくらみなどが、「空摺(からずり)」という凹凸をつける技法によって立体的に表現されています。空摺とは、絵具を使用せずに摺師の手作業で凹模様(エンボス加工)を和紙に付ける手法。動物の毛、鳥の羽、草花、雪、着物の柄など様々な要素の表現に用いられてきました。鈴木春信や喜多川歌麿も盛んに用いたと言われています。北尾重政は空摺の独特の技法を活かし、馬の存在感をより強調したのです。  当店蔵書はアダチ版画の復刻版です。
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  • 夏の風物詩を灯籠流しの起源とは?謎のゆりかもめの灯籠ながしが隅田川で人気に!有名団子やの入銀がきっかけ? 2026年5月21日夏の風物詩を灯籠流しの起源とは?謎のゆりかもめの灯籠ながしが隅田川で人気に!有名団子やの入銀がきっかけ?
    隅田川灯篭流し涼の真景版元 長谷川?画工 歌川国貞三世浮世絵カフェの蔵書 三社祭りが5月におわって浅草周辺では毎週のように夏イベントが実施されます。植木市、ほおずき市、隅田川の花火大会、灯篭流しへと。。。 本作品である「隅田川灯籠流し涼の真景」は明治11年に3代歌川国政によって描かれました。 現在ひろく知られる「隅田川とうろう流し」は、昭和21年(1946年)に終戦後の慰霊と浅草復興祭の一環として最初に行われました。関東大震災や東京大空襲など、隅田川沿岸で犠牲となった多くの方々の霊を弔い、平和を祈る法要として開始されました。現在では浅草隅田の夏三風物詩となっています。  国貞が描いたこちらの浮世絵は珍しい作品です。 ちりめん加工されている。(ぼろいだけという説もありますがちりめん絵ということで仕入れてますが・・・)ちりめんとは和紙で作られた浮世絵を木槌でたたいて加工してしわしわな手触りをたのしむ本や浮世絵です。  江戸後期から明治11年までに実際に催した灯篭流しの風景と推測しますが、灯篭が「ゆりかもめ」?しかも大量で異様な光景です。  これまで国書など調べていますが所以がわからなかった作品です。いつからゆりかもめの灯籠流しがはじまったのか?なぜ途絶えて誰もしらないのか?時期と理由をふくめて謎が多い画なのです。なお、江戸時代以前からゆりかもめは「都鳥」とも呼ばれていました。現在は東京都民の鳥としてなじみ深い鳥です。 絵の見どころ。 本作品の解説は探したが見当たらずですが、数点わかる範囲でご案内します。 ゆりかもめの灯籠が木船に張り子で作られてます。画だからこそ本物か?と見間違うレベルで再現されている。すごい!明治11年前後にはゆりかもめで灯ろう流しする慣習があったのかも? ゆりかもめを釣り上げている竿がある(真ん中の絵) つりかもめを釣り竿で釣っていた?もしくはリリースしていたと思われます。さらに遠目には巨大ゆりかもめも認められます。 屋形船には役者や柳橋の芸者が便乗していると思われます。 背景には筑波山まで見通せる風光明媚な場所(森真崎周辺;現在の白髭橋周辺だと推測します) 時期は川開き以降で5月28日以降の3か月以内だと思われます。 大川(隅田川)両国の川開きは旧暦5月28日の川開きから川じまいの8月28日まで、両国橋のたもとの広小路や川端に芝居小屋や露店、屋台の夜店の出店が期間限定で許可されました。船宿や料理茶屋が客をもてなす納涼船も許可されました。八代将軍・徳川吉宗の時代、享保18(1733)年の川開きに初めて花火が打ち上げられ、これが現在の隅田川花火大会の起源とされています。許可された3カ月の納涼期間中の灯籠流しは実施されたと思われます。 ■灯籠流しは言問団子の広告が起源か?  言問団子のはじまりは、明治元年(1869)「植佐」と呼ばれた植木職人・外山佐吉が、隅田川の堤に茶店を開き、団子を売り始めたのが始まり。商品名の由来は在原業平が詠んだ『古今和歌集』に、都鳥に“言問う”という語があった。その古歌にちなみ、団子に『言問団子』としたそうだ。 「名にしおはば 言問はん都鳥 我が思ふ人は ありやなしやと」 ここでゆりかもめ=都鳥ということがヒントになりました。実は、この浮世絵は言問団子の広告が関係しています。すぐ近くの「長命寺の桜もち」が看板娘効果で大繁盛していたのに対し、団子の売れ行きは芳しくなかった。そこで言問団子のネーミングとセットで和歌をつかった看板プロモーションを実行したという。墨堤(隅田川沿いの堤防に言問団子は所在する)は桜の時期が終わると夏秋冬は客が減ってしまう。主の植佐は牛島弘福寺の盆の燈籠流しを復活させることを思いつく。明治11年(1878)、大警視・川路利良の許可を得て、7月1日より1か月間、隅田川に都鳥の形をした燈籠を流したという。新聞各紙がこれを報じ、浮世絵にも描かれたことで、店の評判はさらに高まったようだ。本作品に明治11年8月5日刊と記載があるので最初の言問団子のイベントを何かしらの縁で国貞が描いたのだと思われます。古書に墨水流燈会之記(ぼくすいりゅうとうえのき)にはゆりかもめ灯籠の詳細絵図が記載されている。本灯籠流しは人気を博して7年も続いて、いったん休憩したが2代目二代目・外山新七がすぐに復活させたそうだ。なお、墨水流燈会之記の奥付をみたところ本書は新七が刊行した書物である。団子販売だけではなく書物まで編纂し刊行するとは優秀なアイデアマンだったのであろう。これらの背景を整理する限り本作品は言問団子の入銀(広告)ものだった可能性もある。 墨水流燈会之記 明治20年刊 版元 新七(言問団子二代目) 【画工紹介】 梅堂国政 バイドウ クニマサ(四代国政→明治22年歌川国貞三代を襲名) 江戸日本橋に生まれる。本名は竹内栄久。幼名は期太郎。四代歌川国政。15歳で初代歌川国貞門下に学びはじめたが、3年後に師匠がなくなった。その後は二代国貞に学んだ。1889(明治22)年に三代香蝶楼国貞を襲名。一寿斎、香蝶桜とも号し、国貞襲名以降は豊斎、芳斎などと称した。南総里見八犬伝、桃太郎鬼ヶ島でん、赤穂義士村松三太夫伝など表紙と挿絵を多数描いた。また役者絵や明治の開化絵として蒸気機関車を多数のこした。
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【営業案内】

住所: 台東区千束4-11-16 ササジマビルディング1階
営業時間: 金曜 11:00~18:00
      土日 9:30~18:00
定休日: 不定休
TEL: 03-5808-9448