浮世絵今昔~コラム

  • 【大河ドラマ~べらぼう】第33話 2025年9月12日【大河ドラマ~べらぼう】第33話
    命を賭した友、命を写した絵―。米騒動が収束していく裏で描かれた、新之助の最後と歌麿の飛躍の兆し 画像 『画本虫ゑらみ』喜多川歌麿//筆,宿屋飯盛<石川雅望>//撰板元 蔦屋重三郎,天明8(1788)刊. 出典:国立国会図書館デジタルコレクション ついに江戸市中でも打ちこわしが勃発。大河ドラマ「べらぼう」33話では、「政を正せ」と書かれた幟を掲げた新之助を筆頭に江戸各地で打ちこわしが行われ、売り渋りをする米問屋の米俵が道や川にばらまかれる様子が描かれました。新之助の目的は米を奪うことではなく、あくまで幕府の政を改めさせること。そのため、押し入った米問屋の米は盗まず、人を傷つけず、“強盗”ではなく、不当に金儲けをする米問屋VS生活に苦しむ庶民との間の“喧嘩”の形に見せた打ちこわしを行っていました。ところが、盗みをはたらくよう民衆を煽る不審者が現れます。それは、前話でも「米がなければ犬を食えと言われた」と主張して民衆の怒りを煽っていた、あの謎の人物でした。これに気づいた蔦重は、田沼意次の屋敷を訪れ、今回も同じ人物が現れたと告げます。同時に、市中の混乱を沈静化するため、米のかわりに金を配ることを進言。「その金で決まった量の米を買えるようにすりゃあ、お上もちゃんと考えてくれてるってなりゃあしませんか」と話します。これに賛同した意次は、再び読売を摺って市民に知らせるよう、蔦重に依頼します。これに対し、蔦重は「これ、またウチがやりますので…」と苦笑いしつつも快諾。しかし、これが後に大きな悲劇をもたらすことになります。 再び読売を摺ることになった蔦重ですが、単純に配るだけでは民衆の怒りをなだめ、混乱を収束させる効果は薄いと悩みます。そこで、鳴り物や羽織袴を準備して浄瑠璃行列を編成。「天からめぐみの銀がふる~。三匁二分 米一升~。声は天に届いた~」という華やか節回しで市中を練り歩き、米と引き換えができる「お救い銀」が出ることを告知します。これに人々は足を止め、「銀がふる~、銀がふる!」と熱狂しますが、蔦重の背後に匕首を持った、あの謎の人物が近づいていきます。そして、男が襲いかかった瞬間、新之助が身を挺して蔦重を守り、脇腹に傷を負ってしまいます。そして、周りが騒然とするなか長谷川平蔵が現れ、襲いかかった謎の男を矢で射殺。これにより騒乱は収束しますが、謎の男の刃には毒が塗られていたらしく、新之助も命を落とします。打ちこわしの騒動は収まったものの、新之助を失った蔦重は失意のどん底に。墓地に佇む蔦重の前に、今度は喜多川歌麿が絵を持って現れます。そして、細部まで繊細に描写した虫や草花の絵を見せ「これが俺の、“ならではの絵”さ」と話します。「生きてるみてえな絵だな…」とつぶやく蔦重に、「絵ってのは命を写しとるようなもんだ。いつかは消えていく命を紙の上に残す。命を写すことが、俺のできる償いなのかもしれねえって思いだして…」と、亡霊による苦しみから脱し、前向きになってきた心境の変化を報告します。歌麿が本格的に活躍するのはまだまだこれから。いよいよ、その日が近づいてきたようです。
    More
  • 【大河ドラマ~べらぼう】第32話 2025年9月12日【大河ドラマ~べらぼう】第32話
    「すべてを田沼のせい」にするため、一ツ橋治済が乞食に変装して民衆を扇動。そのとき、田沼びいきの蔦重は…、怒る庶民の代表・新之助は…。 画像 狂歌才蔵集 最近、新米の収穫が始まりましたが、米価格は高止まりしたままで、昔のような値段には下がりそうにないですね。これは、「農水省の減反政策のせい。自民党政治のせい」とよく言われますが、同じように米価高騰により庶民が困窮する様子が描かれている大河ドラマ「べらぼう」では、すべて「田沼のせい」になっています。32話では、その悪評から老中の座を追われた田沼意次が復権を目指し、再び政の舞台で動き始めました。ドラマの冒頭ではまず、御三家から「田沼の代わりに松平定信を老中にすべきだ」との意見書が出されます。これにより田沼失脚の流れが本格化し、田沼派と目されていた人々の立場が弱くなっていきます。その空気感の象徴的なシーンとして、幕臣である大田南畝が蔦重のもとに駆け込み、「今、これが出るのはまずいのじゃ!」と自身の狂歌集の出版とりやめを懇願するシーンが印象的でした。問題となったのは南畝が編者を務めた「狂歌才蔵集」ですが、南畝のあせりのきっかけとなったのは、田沼政権下で重用されていた勘定組頭・土山宗次郎の左遷でした。宗次郎は狂歌の分野で名が高く、南畝とも昵懇の仲だったため、自分に余波が来るのを恐れたわけです。一方、田沼意次は表の権力から退いたように見せつつも、裏で権力を維持できるよう布石を打っていきます。大奥を含めた人脈を活かし、「裏の老中首座」と呼ばれるようになるまで復権しつつありました。しかし、意次の悪評を広めるためにまたしても一ツ橋治済が暗躍。乞食に扮した治済が市中に現れます。 ドラマの冒頭で描かれた江戸市中では、米価高騰に困窮する庶民がお救い米の配布に期待していたものの、「一人の働き手で多くを養っていて、その働き手が病になった場合に限る」という条件があったため、多くの困窮者が米をもらえないままで、政治に対する不信感が高まっていました。しかし、意次の復権後、条件が緩和されお救い米が庶民にいきわたりました。ちょうどその頃、蔦重は盟友・小田新之助の長屋を訪れ、長屋の住人のために米や酒を差し入れた際に「やはり田沼様ってのは、頼りになりますね」と言ったところ、長屋の人々から「米を買えなくしたのはあいつじゃないか」「蔦屋っていえば、入ってるのは田沼の金でじゃぶじゃぶ遊んでたやつらだよな」と糾弾され、田沼不信が収まらない様子に蔦重は頭を痛めます。実際には、意次は庶民を救うために奔走しますが、大阪では打ちこわしが始まり、事態はさらに緊迫。江戸の打ちこわしへと広がるのを防ぐため、意次はお救い米のさらなる拠出を提案します。さらに、田沼家用人の三浦庄司が蔦重のもとを訪れ、お上の策を広報するための読売(瓦版)を依頼し、蔦重はこれを快諾。読売を市中で撒きながらお救い米が出る日を広く庶民に知らせますが、期日に米が届かず、お救い米の配布は延期になりました。そのため、激高した庶民が奉行所に押し掛けますが、群衆のなかからある乞食が「米がなければ犬を食え?」と大声を出します。そして、「そこのお侍さまが…」と指さし、民衆の怒りをあおります。これにより我慢の限界を超えた新之助たちは、何かの意を決したように立ち去ります。そして乞食の顔、一ツ橋治済の顔が画面に大きく映し出されました。この後、新之助たちの姿から打ちこわしの意思と察した蔦重は新之助を止めようとしますが、「田沼の手先に話せることはない」と突き放され、新之助の仲間たちからは「田沼の犬が!」と袋叩きにされます。それでも事態を憂いた蔦重は、新之助たちに布を渡し、自分たちの想いを書いたのぼりを作ることを提案。そして誰一人つかまらず、死ぬ者の出ないケンカ(抗議活動)をするよう訴えます。次週は、新之助たちの抗議活動(打ちこわし)が最大の見どころになりそうですね。 日本3大暴れ川「坂東太郎」の氾濫が飢饉に追い打ち 坂東太郎(利根川)の決壊による水害は、飢饉で困窮していた市民の生活をさらに追い詰めます。そんななか、蔦重は新之助夫妻のもとを訪れ、赤ん坊の命綱となる母乳が途絶えぬように米を届けます。これにより、妻・ふくの母乳は出続け、自分の子どもだけでなく食べ物に困って乳が出なくなっていた母親たちに代わり、何人もの赤ん坊に自分の乳を与えていました。ふくは元吉原の遊女であり、新之助と足抜けをした身。「人に身を差し出すのは慣れているから」と乳を与え続ける姿は、まるで菩薩のようでした。しかし、「あの家には米があるんじゃないか」という噂を聞いた流民に襲われ、理不尽に命を奪われました。その犯人もまた幼子を抱えながら、困窮していた父親。その犯人を見た新之助は、蔦重の差し入れた米がなければ自分も同じことをしたかもしれないと思い、「俺はどこの何に向かって怒ればいいのだ!」と怒りのやり場を失い、悲嘆していきます。振り返ると、ふくは常に「市井の代弁者」のように描かれてきました。今回も、意次が推し進めた「貸金会所制度」に対する誤解を解こうとする、田沼びいきの蔦重に向かい、「(田沼は)考えているふりをしているだけさ。だって家主は金を出せと言われたら家賃を上げるさ。米屋は米の値を上げるし、油屋は油の値を上げる。庄屋は水呑百姓からもっと米をとる。吉原は女郎からの取り分を増やすだろうね。つまるところ、つけを回されるのは私らみたいな地べたをはいつくばっているやつ。世話になってる身で偉そうで悪いけど、それが私が見てきた浮世ってやつなんだよ」と、市井の声を代弁します。その浮世が今後どのように変わっていくか、そして家治の死、田沼政治の終焉が蔦重にどんな影響を及ぼすか―。べらぼうの物語も、大きな転換期に入ってきました。
    More
  • べらぼう 江戸たいとう【大河ドラマ館】イベント実施報告 2025年8月26日べらぼう 江戸たいとう【大河ドラマ館】イベント実施報告
    2025年8月24日(日曜日)に「江戸文化体験デー」で講演しました。たくさんの方にご来場をいただきました。この場を借りて御礼申し上げます。 当日のプログラムですが、私は「浮世絵・地本文化の黄金期を創った蔦屋重三郎と吉原」というタイトルでお話しましたが、そのほかに摺師歴70年以上の松崎師匠が歌麿の「ポッピンを吹く娘」の摺り実演。栃木市からは阿部さんが「栃木と歌麿」というディープな歌麿話を。合計3部構成でイベントを実施しました。また併設でワークショップで摺り師体験をおこなったのですが盛況でお子様からご年配の方まで限定で100名をはるかに超える募集がありました。  大河ドラマ館でイベントを実施してドラマのファンの方がドラマをきっかけに浮世絵や地本に関心をもっていただいており、その熱量の高さを実感しました。イベントでは時間が限られたので、浅い作品紹介しかできなかったのですが、多数の深い質問もあったので次回はもっと深いお話ができるイベントを考えるつもりです。 【摺師 松崎師匠】 今回は有名な「ポッピンを吹く娘」を実演制作していただきました。今回は出来上がった浮世絵を実際に販売するための実演です。当然手抜き無し。さらに、私から色味など数点調整を依頼しています。今年、当時物の画が見つかったというニュースがありました。それを参考に背景の雲母摺りを通常より赤を強くしていただいています。ほか着物の模様などの色も調整しています。蔦屋重三郎もどうように、摺師さんと仕上げの段階でこのようなやり取りをやっていたはずです。 ポッピンをふく娘では版木を4枚の両面を使います。このときに8色の顔料を使います。当初に主板をつかって地墨みだけ自宅で済ませていただきました。イベント当日は色摺りだけを会場で実施しました。雲母摺りは粉がちらばるので自宅で仕上げてもらいます。来場者のかたも同じポッピンでも時代だけでなく彫師・摺師の技術や微妙な演出の違いなどで同じものはないことを知っていただきました。手作りの良さはすべてがオンリーワンであなただけの木版画なのです。そのかわり、全く同じものを大量に生産はできませんが。 完成品は、店舗及び浮世絵カフェ蔦重の公式通販サイトでも額装つきで販売いたします。出来上がったら写真を公開しますね。浮世絵はプレゼントとしても最適です。是非大切な人へプレゼントしてください。木版画でつくったオリジナルのギフトカードでメッセージも記入できます。9月にはできたてのフレッシュな「ポッピンを吹く娘」をお届けすることができます。通販サイトのご案内はもうしばらくお待ちください。 【栃木と歌麿】 歌麿の雪月花という大作をご存じでしょうか?謎に包まれた肉筆の大作で幅が3m以上ある3部作です。晩年の歌麿が描きましたが豪華で臨場感にあふれる妓楼の様子が描かれています。今にも話しだしそうな女郎たちが色とりどりの衣装をまとい、当時流行していた笹紅で化粧している姿は風俗史としても貴重です。残念ながらオリジナルは海外に流出しており見ることができませんが、栃木市立美術館にいくと高精細複製画「深川の雪」「品川の月」「吉原の花」の3点をまじかで見学できます。 あまり知られていませんが、晩年の歌麿は栃木の善野氏がパトロンとなって肉筆画の作成を歌麿に依頼していたようです。その縁もあって、歌麿の肉筆画が最大7点も保管されていた時期があったようです。1点だけでも貴重なのに!また、蔦屋重三郎と鶴屋さんと山東京伝など3名で日光まで旅行にいっています。当時、狂歌師栃木とかかわりを持っていた可能性もあります。是非肉筆の歌麿に会いに栃木に行きましょう! オンラインショップ 栃木市立美術館 とちぎ歌麿交流館
    More
  • 【大河ドラマ~べらぼう】第31話 2025年8月22日【大河ドラマ~べらぼう】第31話
    将軍の死と、新之助の妻・ふくの理不尽な死浮世を写す二つの死により、べらぼうの物語も大転換期に突入 画像 「続保定記」久松宗作著天保期の印旛沼堀割普請の画出典 千葉市博物館 大河ドラマ「べらぼう」31話では、悲劇の連鎖と二つの印象的な死が描かれました。一つの死は、10代将軍・徳川家治の死でした。家治は祖父の8代将軍・徳川吉宗から期待を受け、直接帝王学を学んだ将軍。田沼意次を側用人、老中として重用し、治世を行いました。この時代は田沼時代とも言われ、意次は米を中心とした重農主義から重商主義への転換を図り、貨幣経済中心の国づくりを進めました。これにより、貨幣経済が発展して歌舞伎や浮世絵などの江戸文化が花開き、蔦重がこの時代に活躍できたことは意次のおかげとも言えるでしょう。一方、賄賂が横行した負の面もあり、意次は賄賂政治の代名詞のようにも言われています。また、この時代は天明の大飢饉や利根川の決壊による大洪水といった天災に見舞われ、市中が混乱し、幕府の財政を悪化させる要因にもなりました。そのため、市井の意次に対する評価は悪く、現在でも賄賂政治家と批判されることが多いですが、一方で経済政策の先駆者として高く評価されることもあります。今回の31話では利根川が決壊し、江戸市中が大洪水に見舞われて大混乱していく様子が描かれ、意次に対する怨嗟の声が広まっていました。そんな中、意次の大きな後ろ盾だった家治が死去。意次は老中辞任に追い込まれました。家治の死は毒殺の可能性を匂わすように描かれ、家治は死に際に黒幕として疑われる一橋治済の胸ぐらをつかみ、「よいか、天は見ておるぞ。これからは余も天の一部となる。余が見ておること、ゆめゆめ忘れるな」と凄みながら死んでいくシーンが印象的でした。そして、もう一つの死が、小田新之助の妻・ふくの死でした。 日本3大暴れ川「坂東太郎」の氾濫が飢饉に追い打ち 坂東太郎(利根川)の決壊による水害は、飢饉で困窮していた市民の生活をさらに追い詰めます。そんななか、蔦重は新之助夫妻のもとを訪れ、赤ん坊の命綱となる母乳が途絶えぬように米を届けます。これにより、妻・ふくの母乳は出続け、自分の子どもだけでなく食べ物に困って乳が出なくなっていた母親たちに代わり、何人もの赤ん坊に自分の乳を与えていました。ふくは元吉原の遊女であり、新之助と足抜けをした身。「人に身を差し出すのは慣れているから」と乳を与え続ける姿は、まるで菩薩のようでした。しかし、「あの家には米があるんじゃないか」という噂を聞いた流民に襲われ、理不尽に命を奪われました。その犯人もまた幼子を抱えながら、困窮していた父親。その犯人を見た新之助は、蔦重の差し入れた米がなければ自分も同じことをしたかもしれないと思い、「俺はどこの何に向かって怒ればいいのだ!」と怒りのやり場を失い、悲嘆していきます。振り返ると、ふくは常に「市井の代弁者」のように描かれてきました。今回も、意次が推し進めた「貸金会所制度」に対する誤解を解こうとする、田沼びいきの蔦重に向かい、「(田沼は)考えているふりをしているだけさ。だって家主は金を出せと言われたら家賃を上げるさ。米屋は米の値を上げるし、油屋は油の値を上げる。庄屋は水呑百姓からもっと米をとる。吉原は女郎からの取り分を増やすだろうね。つまるところ、つけを回されるのは私らみたいな地べたをはいつくばっているやつ。世話になってる身で偉そうで悪いけど、それが私が見てきた浮世ってやつなんだよ」と、市井の声を代弁します。その浮世が今後どのように変わっていくか、そして家治の死、田沼政治の終焉が蔦重にどんな影響を及ぼすか―。べらぼうの物語も、大きな転換期に入ってきました。
    More
  • 【大河ドラマ~べらぼう】第30話 2025年8月21日【大河ドラマ~べらぼう】第30話
    人まね歌麿が己の絵を求めて蔦重と別れ、師・石燕のもとへ。田沼意次VS松平定信の幕開けにより、政は動乱へ 画像 松平定信 出典 国書データベース  喜多川歌麿が師匠・鳥山石燕のもとに―。大河ドラマ「べらぼう」30話では、歌麿が辛い過去の幻影に苦しめられる様子が描かれました。ドラマでは、歌麿が「人まね歌麿」として噂になり、その存在が認知され始めたことから、蔦重は“今が歌麿の売り時”と判断。この頃、黄表紙の流行により絶好調だった蔦重は、さらなる一手として入銀一分で狂歌を絵本に載せられる「入銀狂歌絵本」という企画を推し進めており、その絵師に歌麿を抜てきし、北尾重政そっくりの絵を依頼しました。その絵が大好評で、ますます「人まね歌麿」の名が上がったことから、いよいよ飛躍の時が来ていると判断した蔦重は、次は歌麿ならではのオリジナルの絵を描くことを強く促します。ところが、幼少期のトラウマが蘇り、歌麿は大スランプに。歌麿の母は下級遊女で、堕胎しようとしても降ろすことができず、生まれてきた歌麿は幼少期から母や母の愛人から虐待を受けながら育ってきました。そして、明和の大火のとき、歌麿は建物の下敷きになった母を見捨てて逃げたという過去をもっています。その母や母の愛人が、絵を描くたびに亡霊となって現れ、歌麿を苦しめます。そしてついに、母の亡霊に「人殺しの絵なんて誰が見てえんだって言われるんだよ」と、蔦重に苦しい心の内を吐露します。そんなとき、幼少の歌麿に絵を教えた妖怪画の巨匠・鳥山石燕が耕書堂を訪ねてきます。 蔦重は石燕に、歌麿が亡霊に苦しむなかで描きながら黒く塗りつぶした絵を見せます。すると、石燕はじっと見て「妖が塗り込まれておる。そ奴らはここから出してくれ、出してくれとうめいておる。閉じ込められ、怒り悲しんでおる」と感想を述べます。そして、「三つ目(歌麿)、なぜかように迷う。三つ目の者にしか見えぬものがあろうに。絵師はそれを写すだけでいい。その目にしか見えぬものを現わしてやるのは、絵師に生まれついた者の務めじゃ」と励まします。そこで、歌麿は涙を浮かべながら「弟子にしてくだせえ。俺の絵を描きてえんです。おそばにおいてくだせえ」と話し、ついに蔦重のもとを去ることになりました。一方、政治の世界では、田沼意次のライバル、松平定信が幕府の中枢へ復活。松平定信は8代将軍・徳川吉宗の孫で将軍の座にも近い存在だったものの、意次の画策により幕命として白川藩主・松平定邦の養子に出され、幕府の中枢から遠ざけられていました。そのため、今後は田沼意次VS松平定邦の戦いから目が離せません。そして、その戦いは蔦重に大きな影響を及ぼします。それが、今後の最大の見どころになりそうです。
    More
  • [Taiga Drama ~Berabou] Episode 29 2025年8月6日[Taiga Drama ~Berabou] Episode 29
    Revenge with laughter! Tsutaju and Yamato Kyoden’s bestselling novel is here!What revenge will Tsutaju choose to bring back the smile on his face? Image: Edo-style glossy birch ware. Source: Ukiyo-e Cafe Tsutaju Collection In episode 29 of the historical drama “Berabou,” Tsutae and Tanuma Okitsugu’s decision to avenge Tanuma Okitsugu made significant progress. Tanuma Okitsugu’s team, led by Hirachika Tosaku, who was investigating Ezo, obtained a secret ledger from the Matsumae domain. This ledger was proof that the Matsumae domain was enriching itself through smuggling, and Hirachika Tosaku barely escaped with his ...
    More
  • 【大河ドラマ~べらぼう】第28話 2025年8月1日【大河ドラマ~べらぼう】第28話
    被害者に石が飛び、加害者が英雄に。真実を曲げる世論に対し、蔦重と意次はどのように立ち向かうのか。 画像  田沼意知がついに死去―。大河ドラマ「べらぼう」28話では、冒頭から前話の続きとなる刀傷事件が描かれ、それから数日後、看病する実父・意次に看取られながら、意知は帰らぬ人となりました。意知を襲った佐野政言も切腹が命じられ、田沼時代の終焉を予感させる大事件となりました。後日、蔦重たちが市中を進む意知の葬列を見守っていると、「天罰だ!」と叫びながら石を投げる大工姿の男が現れます。その叫びに同調した群衆からも、田沼政治に対する不満の声とともに棺や駕籠に向けて石が投げつけられます。そんななか、誰袖が棺を守ろうと駆け出しますが、容赦なく石が飛び交い、誰袖の額にも石が直撃。救出した蔦重に向かい、「仇を討っておくなんし!」と訴える姿が描かれました。田沼政治に対する不満を強める原因となった天明の大飢饉は、江戸三大飢饉の一つにも数えられ、全国で90万人以上の餓死者を出したと言われています。その怨嗟の声が田沼親子に向かったわけですが、米の不作の原因となる天候不良も浅間山の噴火も、田沼親子の責任ではありません。また、この時期は前話で蔦重が意知に提案したように、幕府が大坂で集めた米を江戸に送り、安値で払い下げるなどの政策が実り、米価が一時的に安定していました。これは田沼政治の功績と評価できそうですが、民衆は逆に「佐野様が田沼の息子を斬ったから、米の値が下がった」と信じ、「佐野世直大明神」として意知を殺した佐野政言を英雄としてまつってしまいます。これを見た田沼びいきの蔦重は「斬られた方が石投げられて、斬った方が拝まれるってのは…」と思い悩みます。そして、誰袖を励ますためにも仇討の方法を考えますが、政言が切腹した今、仇討の相手がいません。 そこで蔦重が考えたのが、意知の死をもとに政言を悪役として描いた黄表紙です。しかし、相談した書物問屋の須原屋市兵衛からは「ご公儀のことは本のネタにしちゃあならねえ。間山が火を噴くのも、米の値段が下がらねえのも田沼様のせい。佐野は天に代わって田沼様を成敗した。世の中はそういう筋書きをたてたんだ」と反対されます。そして、飢えに苦しんだ人々の気持ちを変えることは簡単にできないことを悟ります。一方、誰袖が身請け先として囲われていた土山宗次郎の屋敷では、誰袖が白い着物に身を包み、一心不乱に藁を打つ呪詛を行っていました。そんな姿を見た蔦重は何もできず、彼女を救う妙案も浮かびません。そんな折、北尾政寅が蔦重のもとを訪ね、手拭合のデザインを見せます。その中の一つ、暖簾の隙間から男がのぞき込んでいるデザインを見て「こいつなら、できるかもしんねえ。こいつならもう一度あいつ(誰袖)を笑わせられるかもしんねえ」と笑みを浮かべます。これが蔦重にどんなヒントを与え、どんな秘策を思いついたのかは今後の楽しみです。一方、田沼意次も息子を死に追いやった刀傷事件の黒幕に一橋治済がいることに気づきます。そして、息子の無念を晴らすため、息子のやり残した仕事を引き継ぎ、完成させることで仇討とすることを決意。こちらの仇討もどうなるか、目が離せません。
    More
  • 【大河ドラマ~べらぼう】第27話 2025年7月19日【大河ドラマ~べらぼう】第27話
    米価高騰が収まらず、田沼政権がまずます窮地に!そして田沼意知に刃が向けられ、花魁・誰袖は、蔦重は… 画像 万歳狂歌集(出典 浮世絵カフェ所蔵) 米価の高騰が止まらない―。大河ドラマ「べらぼう」27話での話です。前話では、田沼意知が江戸への自由な米の持込と販売を許可するため、株仲間制度の改案を献策。適正価格の米の流入により、投機目的で米を買い占めていた商人たちも米を放出せざるをえなくなるはずと、米穀売買勝手令を公布しました。しかし、逆に米商人以外の多くの商人が米を買いあさる結果となり、事態はさらに悪化。田沼政権はその責任を問われました。現在、令和の米騒動は備蓄米の放出により落ち着きを取り戻しつつあるように見えますが、この先の不安は消えていません。今後、日本の米政策をどのようにしていくべきか、ドラマで描かれた内容も大きな参考になりそうです。一方、田沼意知の身請けを待ち望んでいた誰袖も、米騒動により身請け話が遅々と進まず、心の晴れない日々を過ごしていました。意知は「米の値が下がるまでは遊興を控えなければならない」と、しばらく吉原通いを慎まなければならないというのです。多賀袖が詠った「わすれんとかねて祈りし紙入れの などさらさらに人の恋しき」は万歳狂歌集に掲載されるほどの名句です。その句に絆された意知は勘定組頭の土山宗次郎の名で、誰袖を身請けすることを決断。(史実では土山宗次郎が不法行為で得た収入で多賀袖を実際に身請けする)ドラマでは武家の女性の衣装に身をつつみ、幸せそうな誰袖が描かれていましたが、彼女の幸せに終止符を打つ、悲劇が迫っていました。 【佐野政言の刀傷事件】田沼意次は当時、10代将軍・家治の信任を背景に絶対的な権勢を誇っていましたが、一方で田沼家に恨みをもつ者も多くいました。その結果、佐野政言と田沼意知の刀傷事件が起こり、跡取り・意知を失った田沼意次の権勢も衰えていくことになります。佐野家は徳川家の譜代の家柄で、代々「番士」として江戸城の警護を担ってきた旗本です。このように由緒ある家ではあるものの、知行は低く、経済的に厳しい境遇にありました。そこで、佐野政言の父・政豊はべらぼう第6話にて、田沼家がかつては佐野家の家臣筋であったという経緯を示す家系図を持ち出し、立身出世を意次に願い出ていました。しかし、その願いは裏切られ続け、27話では政言が田沼家に不信感をもつさまざまな事件が描かれた末に、政言が意知に向かって抜刀するシーンまで描かれました。この結果、やがて田沼家は没落していきますが、誰袖はもちろん、史実では蔦重にも大きな不運をもたらすことになりますので、この先の展開が見逃せません。また、米政策についても、27話では蔦重が少し躍動します。蔦重は田沼家を訪れ「幕府が米を買い取り、そのままの価格で民に販売する」ことを提案します。しかし、意知は「武士が商売まがいのことを…」と難色を示します。これに対して、蔦重は「食うことに精一杯になれば、本はがまん、普請はあきらめよ、湯は10日に一度、床屋もいいとなる。そうやってどんどん金の巡りが悪くなる。その流れを断ち切る。これは商いではなく、政でございます」と説得します。この考えは、現在の消費税減税策につながる発想だと、個人的に思いました。消費税は消費マインドを冷やし、金の巡りが悪くなる。だから、この流れを断ち切るために消費税を減税すべきだ。現在、参議院選挙の争点との一つとして、このように主張する政党があります。消費マインドを活性化させると景気はよくなり、結果的に税収も増えていくのか―。大河ドラマなどを通して歴史を見直すと、そのヒントが見えてくるかもしれませんね。
    More
  • 季節展示7月~『Die Momochidori des Kitagawa Utamaro』百千鳥狂歌合 2025年7月15日季節展示7月~『Die Momochidori des Kitagawa Utamaro』百千鳥狂歌合
    ヨーロッパで浮世絵ブームを作ったDr.ユリウス・クルト 7月からの新展示作品のご紹介です。 著名な歌麿・写楽の浮世絵研究家であるDr.ユリウス・クルトが制作した『Die Momochidori des Kitagawa Utamaro』です。国書データベースで調べたかぎりでは本書は国内に現存する蔵書は2冊と稀書です。そもそもベルリンで1912年に300部だけ限定で制作された学者・画家・パトロン向けの贈呈本で、明治時代はヨーロッパから日本国内へ書籍の流通はほぼなかったに等しいのです。本書は東京大学に1冊ありそうでしたが常時展示するのは当店しかないと思われます。 ユリウス・クルト(Dr. Julius Kurth, 1870–1949)は、20世紀初頭に活躍したドイツの美術史家・東洋美術研究者であり、西洋における浮世絵研究の草分け的存在です。彼は浮世絵を単なる日本の庶民芸術ではなく、繊細な美術表現として再評価し、特に喜多川歌麿と東洲斎写楽に焦点を当てました。クルトの研究は、ヨーロッパにおけるジャポニスムの流行を理論的・美術史的に裏づける役割を果たし、後世の日本美術受容にも大きな影響を与えました。 写楽に関するクルトの評価は非常に高く、彼はその作品に現れる大胆な造形、心理的洞察、そして強烈な個性を「日本美術の中でも特異な表現主義的才能」と見なしました。特に、役者の顔の表情や肉体の誇張、瞬間の演技を捉える表現力に注目し、これを「西洋の表現主義にも通じる視覚的革新」として紹介しました。 また、クルトは写楽の活動期間が極めて短かったことにも着目し、「短命ゆえに神秘性を帯びた天才」としてその芸術的孤高性を強調しました。当時、写楽の作品は日本国内ではあまり評価されておらず、その価値を最初に強く打ち出したのは、むしろクルトのような西洋の研究者たちでした。彼は、写楽の造形が「劇場性」と「内面性」の両面を併せ持ち、演劇的表現の核心を鋭く捉えている点において、浮世絵史上きわめて異例な存在であるとしました。 写楽を通じてクルトは、浮世絵が単なる娯楽の印刷物ではなく、時に心理の深層に迫る芸術性を持ちうることを証明しようとしたのです。その視点は西洋における日本美術の芸術的地位を高めるうえで大きな役割を果たしました。クルトの研究は、現在でも写楽論や浮世絵研究の原点として再評価されています。一方ではクルトの写楽評価は過大であるという批判も存在していることは知っておくべきでしょう。 【クルトの百千鳥狂歌合】 『Die Momochidori des Kitagawa Utamaro』(百千鳥)は、ドイツの美術史家ユリウス・クルト(Julius Kurth)が1912年に刊行した、喜多川歌麿の作品『百千鳥狂歌合』を西洋に紹介するために編んだ美術書です。本書は限定300部で刊行され、各見開きに歌麿の木版画を銅版画技術で再現した画と、対応する狂歌のドイツ語訳および解説が付されるという、当時としては極めて高度な美術出版の一つでした。 原版である『百千鳥狂歌合』は、天明6年(1786年)に蔦屋重三郎によって出版された豪華摺物で、さまざまな鳥とそれにまつわる狂歌を組み合わせた形式をとります。クルトはこの作品を単なる装飾的な絵本ではなく、絵と詩が相互に響き合う「詩画融合」の芸術作品として評価しました。彼はとくに、歌麿が鳥の種類や動き、羽毛の質感までを極めて繊細に描き分けている点に注目し、さらにきめ出し、空摺り、雲母摺などの技を使用して、それぞれの狂歌と視覚的表現が絶妙な調和を見せていると述べています。 クルトはまた、鳥たちが人間のように振る舞い、語り合うかのような構図を通して、自然と人間の感情が交錯する詩的世界が展開されていると解釈しました。そのため本書では、各図版に狂歌の内容を丁寧に翻訳・注釈し、絵と詩の関係性を西洋の読者にも理解できるように構成されています。 さらに、クルトはこの作品を通じて、歌麿が単なる美人画の絵師ではなく、詩的感性をもった芸術家であったことを強調しました。彼は本書の序文で、「歌麿の色彩と線は、まるで詩が形を持ったようである」と述べ、浮世絵が持つ抒情性や形式美を西洋美術の文脈で再評価する試みを行っています。 私は学者ではないのでクルトほど雄弁には語れませんが、歌麿ではなくプロデューサー蔦重の狂歌へのリテラシーが本作品の形式美を決定づけていると想定します。 なぜなら筆の綾丸と呼ばれた歌麿が蔦重レベルまで和歌や狂歌を理解していたとは思えないからです。蔦重はプロデュースだけでなく多数の自筆作品を残しているのです。また、百千鳥をつくったときの歌麿はまだ駆け出しの絵師でした。画才には恵まれていたことは疑いようがありませんが、和歌を解して狂歌と絵を立体的に表現するほどの知見があったとは想像しがたいです。蔦重は太田南畝、唐衣橘州につうじていただけでなく大文字屋市兵衛が主となる吉原連(狂歌同好会)にも所属して自ら蔦の唐丸として狂歌師として活躍しています。以前にも雛形若菜に始まり青楼美人姿鏡や新傾城美人合鏡など多数の多色摺錦絵をつくってきた経験からこそ、この豪華狂歌絵本をつくったのでしょう。制作の背景には天明狂歌ブームがあったからと推察できます。狂歌絵3部作以前にすでに出版されていた太田南畝の「狂歌画本」も参考にしたでしょう。初期の歌麿の絵については蔦重のプロデュースが想像以上に大きく影響されていたと思われます。 クルトの歌麿への高評価がジャポネスクブームに大いに役立ってきていると思います。初期の歌麿作品については蔦重の企画立案が作品に影響を与えていた可能性がたかいです。特に豪華な雲母摺り、きめ出しなどエンボス加工を使う使わないについての決定権は歌麿ではなく、予算をにぎっていた蔦重がハンドルしていたと考えるほうが自然です。クルトはガフラージュ的(立体的)な技術演出について感心していたようです。歌麿の世界観だけでなく、蔦重の指示と摺師たちの技について、関心を深めたほうが、より正しく作品を理解できたと思います。クルトの解説を見る限り絵師以外の作品関係者への記述が希薄であり、その結果として写楽単体の過大評価につながっている節も見受けられるのです。とくに写楽作品への蔦重の影響力はかなり大きく、写楽の作品は蔦重の作品でもあったことをクルトは理解しきれてなかったからこそ、写楽を過大評価してしまった。その結果として写楽ブームは落ち着いてしまったように感じています。これはあくまでも私個人の観察ですが。 いずれにせよ、『Die Momochidori』は、西洋で初めて本格的に詩と絵の融合をテーマにした浮世絵研究書であり、世界に浮世絵を広めた功労者です。本書は今日でも浮世絵学の基礎資料として高く評価されています。 【Die Momochidoriの概要】 ユリウス・クルトの著作『Die Momochidori des Kitagawa Utamaro』(1912年刊)は、日本で制作されたものではありません。この作品は、ドイツ(ベルリン)で印刷・出版された、いわば西洋人による浮世絵美術書の高級復刻本です。 📍制作地 出版地:ドイツ・ベルリン 出版社:Rex & Co. 限定部数:300部のみ 🎨 版画技術について 『Die Momochidori』に収録されている挿絵は、原本『百千鳥狂歌合』の木版画の模写・再現を目指していますが、印刷技法は当時の西洋で一般的だった技術が使われています: ❌ 本作品は木版画(日本式)ではありません。西洋の技術で木版画を模したという貴重な作品です。 日本の伝統的な浮世絵木版画技法(彫師・摺師による分業)ではありません。 ✅ おそらく石版画または多色銅版印刷(リトグラフ/クロモリトグラフ) クルト版は、当時のヨーロッパで発展していたリトグラフ(石版)または銅版印刷技術により、日本の木版表現を模倣的に再現しています。 色彩も手彩色またはクロモリトグラフィー(多色石版)によるものと推定されます。 🖼 原本との違い:浮世絵カフェ蔦重では、百千鳥狂歌合(明治摺)とクルト作品を2つをならべて対比して展示しています。違いを間近で鑑賞できます。 項目 原本(蔦屋重三郎版) クルト版 制作地 江戸・日本 ドイツ・ベルリン 技法 手彫り・手摺の木版画 石版画または銅版印刷(機械印刷) 色彩 雲母刷りや空摺など日本特有の高級摺技法 手彩色または印刷による色再現 目的 狂歌師たちへの贈答・限定頒布 美術書・学術的紹介用 ✅ まとめ クルトの『Die Momochidori』は、ドイツで出版された高級美術書であり、日本の木版原本を模倣した西洋式の印刷技術(主に石版画・銅版画)で制作されたものです。したがって、作品としての印刷様式は木版画ではなく、浮世絵風の美術再現という位置づけになります。  今から110年以前の1912年にベルリンで300部だけ制作された本作品は国内にほとんど現存しません。歌麿を、写楽を、浮世絵を世界に広めた稀書を浮世絵カフェ蔦重で展示中です。
    More
  • 【大河ドラマ~べらぼう】第26話 2025年7月11日【大河ドラマ~べらぼう】第26話
    天明の飢饉により米価格の高騰に苦しむなか、蔦重の母・つよが登場!蔦重の言葉をヒントに、田沼意知が米騒動の打開策を発案 画像 金平子供遊 版元 耕書堂 画 歌麿門人 千代女出典 国書データーベース 米の値が上がると踏んで、大阪の堂島(商品取引所)でまず値が吊り上がり、それを見た米問屋、仲買人、札差などが売り惜しみ、米価が昨年の倍の値になりました―。まるで、最近のニュースを聞いているようですが、これは大河ドラマ「べらぼう」26話の冒頭、江戸城で老中が米の不作の報告を受けているシーンの話。前話で起こった浅間山の大噴火の影響もあり、天明の大飢饉が発生し、当時は多くの餓死者を出すほど深刻な問題となりました。報告を受けた老中・田沼意次は取り急ぎ商人たちに値下げを命じますが、商人たちが従うかどうかはあやふやで、騒動は収まる気配がありません。当然、蔦重も米不足の現実に直面。奉公人たちの食事、勝手に入り込んで食事をとる絵師や作家たちで、蔵の米はどんどん減っていきます。 実在した母の実像は? 26話では、そんな来客者のなかに、なんと蔦重の母“つよ”が紛れ込んでおり、残り少ない米を食べていました。本名広瀬(丸山)津与(つよ)は7歳の時に蔦重と生き分かれた実の母。父は丸山重助です。蔦重は、「今さら何しに来やがった」と激怒して追い返そうとします。しかし、「孝行したいときに親はなしと申します」と間に入った妻・ていのとりなしもあり、つよは同居することになりました。ところが、この“つよ”が来客者に無料で髪結いを行い、その間に店の本を渡しながら、蔦重が本の宣伝をする展開に。つよのスキルが思わぬ形で役立つことになりました。実はつよは教養が高いことが推定されます。母つよは吉原連に参加しており、蔦重の刊行した狂歌集に数回の発句を残しています。蔦唐丸母という戯号にて。実の母が子を想わぬはずはなく、孝養を尽くしたい蔦重とつよは同居して家業繁栄へ精力的に行動していたと思われます。母つよは妻貞(てい)とともに早々に耕書堂になじんでいたことが想定できます。 一方、意次の命令に従い米を正規の値段で販売する商人は一部のみで、庶民の生活はますます困窮。そこで「自分達にも何かできないか」と考えた蔦重が、ある突飛なアイデアを思いつきます。 天明の大飢饉を吹き飛ばせ! 蔦重と太田南畝等は天明狂歌ブームへ始動。蔦重は「暗い世だからこそ笑いを」と、正月に向けておめでたい狂歌集を作ることを発案。蔦重のこの想いに賛同し、大田南畝や歌麿が協力し、新たな黄表紙の作成に取りかかります。   そんな蔦重のもとを、今度は新たに若年寄に就任した田沼意知が訪れます。米の売り惜しみをする商人たちにどうしたら米を出させることができるか、商人を動かすには商人の知恵を借りるしかないと、蔦重に打開策を相談しに来たのです。すると、蔦重は黄表紙の話をするとともに、良い本を作っても地本問屋の仲間に入れてもらえなければ流通させることができず、自由に商売ができなかったと、書物の世界の「仲間制度」にさんざん苦しめられてきたと話します。この話にヒントを得た意知は、米を扱う仲買や問屋の株仲間制度の廃止を発案。米業者の結束を解き、売り惜しみや価格操作を防ごうとします。現在、米の流通は自由化されて誰でも集出荷、販売ができます。しかし、「消えた21万トンの米」が話題になるなど、消費者の間では米の流通に対する不信感がぬぐえません。ならば、いっそのこと米の生産から加工、流通、販売、消費までをデータ連携する「スマートフードチェーン」構想を義務化してみたら、売り惜しみしている業者も見える化されるのでは…と、26話を見ながら考えてしまいました。
    More