浮世絵今昔~コラム

  • おおすすめ作品 娼妃地理記(しょうひちりき) 2025年4月2日おおすすめ作品 娼妃地理記(しょうひちりき)
    蔦重と朋誠堂喜三二初のコラボ作品細部までこった高度な、おやじギャグ満載の洒落本 「娼妃地理記」が蔦重と喜三二の初のコラボレーションとなりました。それまで新吉原俄(にわか)のパンフレットである「明月余情」の序文、跋文しか書いていません。  喜三二は江戸留守居役(外交官)をつとめる秋田藩のお武家様でしたので教養が高いのです。そのうえ藩の経費をつかって頻繁に妓楼に通っていました。喜三二は吉原きっての通人として吉原の紹介役としてはうってつけだったのです。そのポテンシャルを余すことなく活かして、機知に富んだおやじギャグをたっぷりちりばめた新吉原を紹介する洒落本として「娼妃地理記」をつくりました。 ドラマでは尾美としのりさんは「どうだろう、まあ」と連発しています。これは、この本を制作する戯号である「道駝楼麻阿」の前振りだったようです。 浮世絵カフェでは江戸期オリジナルの「娼妃地理記」と復刻版の両方を常設展示しています。復刻版も販売しています。 ダジャレの戯号「道駝楼麻阿 どうだろうまあ」=朋誠堂喜三二 【ストーリー】 気になる内容ですが、「北仙婦州吉原大月本国」という、仮想の国にある新吉原のエリアガイドとして初期設定しています。そもそもこの「北仙婦州吉原大月本国」という名称自体がダジャレになっています。北仙婦とは北里にあった吉原にいる遊女という意味です。大日本国にたいして、日の陰である月と入れ替えて「大月本国」としたわけです。当時の人にはわかりやすい洒落になっていました。  ダジャレは序文から始まります。「どうだろう、まあ」という、てきとうな感じの戯号からはじまっています。その、落款には「ひろめて・くんな」と読める押印があります。文章としてもデザインとしても、笑みがこぼれてしまう機知あるダジャレが仕込まれています。序文から最後の跋文の隅々までダジャレを探したくなる編集がなされています。 「大月本国地図=新吉原廓内地図」新吉原を海原に見立てた地図。絶妙な地名をつけています。 洒落は効いていますが、中身はしっかりとガイドブックとして機能しています。通り、町名、妓楼を月本国の海や、群としてたとえながら、そこにいる遊女を景勝地や泉に見立てて案内し、遊女の個性を紹介しています。また、商人が販売している物産や飲食店も紹介しています。喜三二と蔦重のタッグはのりのりだったのだろうと想像できる楽しい一冊になっています。 多数の吉原名物が五十間道には並んでいた。 [娼妃地理記 序] 出典:国書データベース 木版本 17.3×11.6cm  総六十丁
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  • おすすめ作品 「風来六々部集 前編下 飛花落葉」 2025年4月1日おすすめ作品 「風来六々部集 前編下 飛花落葉」
    江戸一のアイデアマン平賀源内のコピー集あの名コピー「歯みがき漱石香」を全文掲載 平賀源内は多才なアイデアマンであったと同時に一流のコピーライターでした。「土用丑の日はウナギの日」のキャッチコピーは、源内のアイデアというのが通説です。今回の「風来六々部集」に紹介されているのは、「大河ドラマ~べらぼう」第二話で蔦重と花野井(のちの瀬川)が読んでいた「嗽石香(そうせきこう)」という歯磨き粉発売の引札に書いてあった広告コピーです。(ひきふだ:宣伝チラシのこと)その内容は芝居口上で「はこいり歯みがき漱石香、歯をしろくし口中悪しき匂ひをさる」と案内しています。浮世絵カフェでは明治17年に制作された「風来六々部集」を常時展示しています。   平賀源内の肖像。通人に好まれた文金風の髷。男色家としても有名だったがエレキテルの修正販売や、鉱山開発を手掛けつつ狂歌もたしなむ多彩な才能に恵まれた。しかしながら最後は獄中死であった。 1769(明和6)年、平賀源内は恵比寿屋兵助の依頼で引札「嗽石香(そうせきこう)」の宣伝文を書きました。源内は有名人でしたが浪人の身分だったので藩からの固定収入はなかったようです。収入を得るために、鉱山開発に始まりエレキテルで見世物をだしたり、戯作を書いたりと版元の依頼に応じて執筆したと思われます。 日本の最初のコピーライターは平賀源内であるといわれています。「風来六々部集 飛花落葉」という宣伝集があります。これは1783(天明3)年、源内の死後、引札文だけを集めて編纂されたものですが「嗽石香」のコピーはこの中に掲載されています。 嗽石香の引札にあったコピー全文 浮世絵カフェ 蔵書 【ストーリー】「トウザイ、トウザイ」・・・私住所の儀(てっぽう町裏店の住人 川合惣助元無:源内自身)、八方は八つ棟作り四方に四面の蔵を建てようと思っているのですが、私は商いの損相つづき、困っているところに、さる御方が元手のいらぬ歯磨き粉の販売を教えてくれました 隠すのも野暮なので、ぶっちゃけバラしますが、防州の砂に匂いを付けたもの、教え通りに薬種を選び念入りに調合しました。歯を白くするだけでなく富士の山ほどの効能があると聞きました。しかし、効くのか効かぬか、私にはわかりません。でも、たかが歯磨き、ほかの効能なくても害も無いでしょう。今回は20袋分を1箱に入れています。使い勝手が良いので、たくさん安く売って利益を上げようと思っているところです。正直言うとお金が欲しさに早々に売り出すことにしました。お使いになって万一良くなく、捨ててしまっても、たかが知れた損でしょう。私の方はちりも積もって山となります。もし良い品とご評判いただけば表通りに店を出し、金看板を輝かせて今の難儀を昔話としましょう。   てっぽう町裏店の住人 川合惣助元無(源内の匿名)売弘所 恵比寿屋兵助」 源内は本音をさらけ出すことで、むしろ江戸っ子たちの洒落心をくすぐる、テンポの良い引札を複数書いています。  蔦重はこのような威勢よく面白い引き札をたびたび見たのでしょう。吉原細見で序を平賀源内に依頼したのも納得できますね。  木版本 17.3×11.6cm  総六十丁[概要]江戸後期の狂文集。二冊六編からなる。風来山人(平賀源内)の作。安永九年(1780年)刊。明和・安永年中(1764年から1781年)に発売された六編の戯文を集められた書。「放屁論」「痿陰隠逸伝」等。
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  • おすすめ作品 『堪忍袋緒〆善玉(かんにんぶくろおじめのぜんだま)』 2025年4月1日おすすめ作品 『堪忍袋緒〆善玉(かんにんぶくろおじめのぜんだま)』
    善玉悪玉の元祖が善悪の教訓を楽しく表現蔦重と京伝が作った傑作の草双紙 下の画像は堪忍袋緒〆善玉の冒頭の絵だ。 現代でもありそうな、編集者と作家のやり取りを描いた作品です。 山東京伝の自宅に原稿取りに訪れている蔦屋重三郎。左の机に座っているのが京伝(京伝鼻が可愛い)。お茶を出しているのが京伝の妻お菊です。蔦屋の紋付で判りますが、右に座るのは蔦重です。 このページでは蔦重が「たとえ足を擂粉木(すりこぎ)にして通って、声をからし味噌にして~云々~先生の善玉悪玉の作を願わねばならぬ」と京伝に催促してるシーンです。画を描いているのも山東京伝(北尾政演)です。 京伝作画の黄表紙(きびょうし)『堪忍袋緒〆善玉(かんにんぶくろおじめのぜんだま)』(寛政5年〈1793〉刊。蔦屋重三郎版)より。浮世絵カフェにオリジナル在庫あり。 『堪忍袋緒〆善玉(かんにんぶくろおじめのぜんだま)』江戸時代後期の文化や社会情勢を映し出す人気の草双紙です。この作品では、善悪の心をテーマにした教訓本としての役割をもっており、表現が規制された寛政の改革下で出版業にとっては厳しい社会背景の中で執筆されました。 [ストーリー] 善と悪の象徴である「善玉」と「悪玉」が人間の心を巡って対立するストーリーです。悪玉は男たちに悪行をそそのかし、彼らの道徳心を揺るがそうとします。その一方では善玉はその行動を阻止し、心の改悛を促します。男の心理では善悪の葛藤を通じて、人間の道徳観をはかり最終的には善行の重要性を説くながれになっています。 悪玉が男を誘惑する。善玉が引き留めている図。軽妙なタッチで目玉のおやじのようなキャラクターは人気になった。この後「悪玉踊り」が流行した。 本作品では寛政の改革期における社会的な教育方針、質素倹約の強化の流れと連動しています。田沼意次の失脚以降に松平定信は社会の秩序を維持するため、出版物にも厳しく監視の目をむけています。黄表紙でゴシップ的な話題をテーマにするよりも、『堪忍袋緒〆善玉』のような教訓的なテーマを持つ作品が支持されたのです。ただの教訓だと面白くないので、蔦重と京伝は面白い挿絵とストーリーを考えて読者を惹きつけたのでしょう。ある意味では寛政の改革だから生まれたのが「堪忍袋緒〆善玉」だったのかもしれませんね。 堪忍袋緒〆善玉のオリジナル(複製ではありません)が浮世絵カフェでは常設展示されています。
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