- 隅田川水神の森真崎(すみだがわすいじんのもりまさき) 2025年4月11日

本作品は向島から水神の森と隅田川の対岸の真崎(真崎稲荷明神社)の風景です。真崎主変は数多くの狂歌でも詠われた風光明媚な景勝地でした。この水神は、水難、火事除けのご利益があるとされ帆掛け船を操る船頭たちばかりでなく庶民の間でも厚い信仰を得ていました。真崎稲荷明神社は現在の石浜神社に合祀されています。隅田川の東岸の堤は、御殿山、飛鳥山と並ぶ桜の名所となっていました。全体に柔らかな色合いで、奥には男体山と女体山の輪郭もはっきりと筑波山が見えます。手前には春爛漫で桜が満開を迎えています。桜、大川、筑波山と、広重得意の遠近法を駆使した風光明媚な景色となっています。
More - 名所江戸百景 箕輪金杉三河しま(みのわかなすぎみかわしま) 歌川広重 安政4年(1857)刊 2025年4月11日

江戸時代から大正期までは新吉原の北にある三河島(現・荒川区東日暮里)は鶴の飛来地でした。丹頂鶴や真名鶴が飛来する11月になると毎年、竹の囲いをめぐらして鶴の餌付けが行われていたようです。現在ではまったく想像がつかない風景ですが、もともと吉原より北は「葦」がしげる湿地帯だったので鶴にとっては良い餌場所だったのでしょう。将軍が鷹狩りで鶴を捕獲し、朝廷に献上する儀式「鶴御成(つるのおなり)」の猟場でもありました。 丹頂鶴の翼幅は一間を超える大型な鳥ですが、広重は「空摺」をつかって鶴の大きな羽の立体感を演出しています。ふわふわの羽で羽ばたく絵は活き活きしています。
More - 『浅草田圃酉の町詣(あさくさ たんぼ とりのまち もうで)』。歌川広重 2025年4月11日

価格22,000円(税込み)
新吉原の西側に鷲明神(現・浅草鷲神社)があった。浅草寺の裏側(北)は田んぼや畑や葦原だった。近年の猫人気にあやかって本作品も人気作品となっているが、アイコンである猫には摺師が「きめ出し」という技をつかって凹をつくって立体感をだしている点にも注目です。この絵は妓楼の控部屋から鷲明神方面を眺めている設定で窓の外には「酉の祭(とりのまち」へ詣でる大勢の人たちが描かれています。部屋の中に目を転じると、畳の上には小さな熊手。じっくりみると熊手の形をした簪(かんざし)が並んでいます。「酉」は「取る」に通じることから、商売繁盛を願って多くの人が酉の市に参詣しました。
More - 名所江戸百景 浅草金龍山 (あさくさきんりゅうざん)歌川広重 2025年4月11日

価格22,000円(税込み)
広重の代表作で雷門越しの遠近法と紅白のコントラストが印象的です。この図は雪が降る浅草寺雷門から、仁王門と五重塔を望んだものです。五重塔は消失して今はありません。
広重は赤い雷門と白くこんもりと積もった雪のコントラストを完全な構図で描いています。この浮世絵のみどころは摺り師の技で「空摺 からずり」をダイナミックにつかっている点です。空摺は絵の具を付けずに凹を摺る技法です。現代でいえば3D技術のような技巧です。
この絵の魅力は降りしきる雪と枝に積もった雪をリアルに巧みな立体感を描いていることでしょう。印刷では真似できない、和紙を使った木版画の魅力がつまった人気作品です。
More - おすすめ作品 『傾城買四十八手』けいせいかいしじゅうはって 2025年4月8日

吉原きっての通人が描く洒落本の名作傾城恋愛手管の指南役は山東京伝
花魁2名を身請けした究極の通人「山東京伝」が描いた新吉原の手管物語です。江戸後期の洒落本1冊。寛政二年(1790年)刊。
中国の仙人で鯉(旦那衆) を巧みに乗りこなしたといわれる琴高仙人(きんこうせんにん)を遊女に見立てた挿絵。
さまざまな遊客遊女との会話を4シーンに描き分け、遊興・恋愛における男女の手くだ・技巧・感情を細かく鋭い観察と巧妙、辛辣、ユーモラスに描いた逸品。
しつぽりとした手・やすひ手・見ぬかれた手・真の手から成る。吉原の大見世・小見世のそれぞれ異なる地位の遊女と遊客の閨房における会話を生々しくユーモラスに足描いている。吉原にいったことがない者でさえも吉原遊びの手練手管(てれんてくだ)を知った気にさせる内容でした。山東京伝の経験が最大限に活かされたの遊里をテーマにした洒落本の代表作である。
keiseikai shijūhatte作・画:山東京伝(さんとう きょうでん)版元:蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)・耕書堂(こうしょどう)発売年:, 寛政2年(1790年)浮世絵カフェの蔵書は耕書堂のオリジナル。2冊。多くの大学の蔵書は1冊だが当店在庫には2冊と1冊の2種類がある。
More - おすすめ作品 『江戸生艶気樺焼』えどうまれ うわきのかばやき 2025年4月2日

抱腹絶倒!黄表紙のベストセラー醜かわいい艶次郎が色男を目指す
『江戸生艶気樺焼』は山東京伝の代表作であり20代で最大のヒット作でした。浮世絵カフェでは江戸期オリジナル作品を常時展示しています。
黄表紙でもっとも有名が挿絵~仇気屋(あだきや)の一人息子である艶二郎
豚鼻を京伝鼻と呼んでいる。京伝は色男だったが、自らを描くときはわざと醜男に描いていた。
主人公は百万両分限(百万長者)の仇気屋(あだきや)の一人息子である艶二郎(つやじろう)19歳。江戸の若旦那としては典型的な浮気者で生来好色の承認欲求が強く思慮浅く、江戸時代の若者の典型でした。遊里の女性にもてはやされる新内節(しんないぶし)にでてくる色男や歌舞伎役者のように浮名をながしたいと思っていました。
主人公の艶次郎は醜男でありながらうぬぼれが強く,悪友の道楽息子北里喜之介,太鼓医者輪留井志庵 (わるいしあん) を誘って,色男の評判を立てようと画策します。架空の情人の名前を腕に刺青したり、芸者に金をやって家に駆込みをさせたり,女郎を身請けして駆落ちの狂言を仕組んだりします。女郎を金でやとって演技させていることを知らない艶二郎の家の下女たちは「不細工な若旦那に惚れるとは物好きな変わり者だ」と陰口をささやきました。物語の結末では、遊びの限界や愚かさを示すようなオチが用意されており、「行き過ぎた遊びの結末」を教訓的に描いています。
艶次郎は色男になりたかったが、極端な行動で騒動をおこす
その滑稽で突飛な行動とぶさいくな牡丹鼻は「京伝鼻」「艶次郎鼻」と呼ばれました。本作品の流行で艶二郎という名は勘違い男の代名詞となりました。
本作は、黄表紙(江戸時代の風刺的な絵入り読み物)の三大作品と云われています。『江戸生艶気樺焼』(山東京伝)『金々先生栄花夢』(恋川春町)『御存商売物』(山東京伝)これら3作は大変人気を博しました。
これらの作品は、町人文化や社会風俗を反映しながら、ユーモアと風刺を交えて遊里文化を面白おかしく描いた作品です。合わせて一読すると江戸文化をさらに深く理解する一助となります。
『江戸生艶気樺焼』 作者:山東京伝(さんとう きょうでん) 画:北尾政演(きたお まさのぶ) 版元:蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)・耕書堂(こうしょどう) 発売年:天明5年(1785年)浮世絵カフェの蔵書は耕書堂のオリジナル。題箋が「江戸生浮気蒲焼」となっていること奥付が初摺とは違うので2摺と思われる。 販売価格:当時の黄表紙の相場を参考にすると、銀3分~4分(約200~400文)程度と推測されます。 4回以上の重版となった。3摺りからは題箋(タイトル)が「浮気蒲焼」にかわった。
More - おおすすめ作品 娼妃地理記(しょうひちりき) 2025年4月2日

蔦重と朋誠堂喜三二初のコラボ作品細部までこった高度な、おやじギャグ満載の洒落本
「娼妃地理記」が蔦重と喜三二の初のコラボレーションとなりました。それまで新吉原俄(にわか)のパンフレットである「明月余情」の序文、跋文しか書いていません。
喜三二は江戸留守居役(外交官)をつとめる秋田藩のお武家様でしたので教養が高いのです。そのうえ藩の経費をつかって頻繁に妓楼に通っていました。喜三二は吉原きっての通人として吉原の紹介役としてはうってつけだったのです。そのポテンシャルを余すことなく活かして、機知に富んだおやじギャグをたっぷりちりばめた新吉原を紹介する洒落本として「娼妃地理記」をつくりました。
ドラマでは尾美としのりさんは「どうだろう、まあ」と連発しています。これは、この本を制作する戯号である「道駝楼麻阿」の前振りだったようです。
浮世絵カフェでは江戸期オリジナルの「娼妃地理記」と復刻版の両方を常設展示しています。復刻版も販売しています。
ダジャレの戯号「道駝楼麻阿 どうだろうまあ」=朋誠堂喜三二
【ストーリー】
気になる内容ですが、「北仙婦州吉原大月本国」という、仮想の国にある新吉原のエリアガイドとして初期設定しています。そもそもこの「北仙婦州吉原大月本国」という名称自体がダジャレになっています。北仙婦とは北里にあった吉原にいる遊女という意味です。大日本国にたいして、日の陰である月と入れ替えて「大月本国」としたわけです。当時の人にはわかりやすい洒落になっていました。
ダジャレは序文から始まります。「どうだろう、まあ」という、てきとうな感じの戯号からはじまっています。その、落款には「ひろめて・くんな」と読める押印があります。文章としてもデザインとしても、笑みがこぼれてしまう機知あるダジャレが仕込まれています。序文から最後の跋文の隅々までダジャレを探したくなる編集がなされています。
「大月本国地図=新吉原廓内地図」新吉原を海原に見立てた地図。絶妙な地名をつけています。
洒落は効いていますが、中身はしっかりとガイドブックとして機能しています。通り、町名、妓楼を月本国の海や、群としてたとえながら、そこにいる遊女を景勝地や泉に見立てて案内し、遊女の個性を紹介しています。また、商人が販売している物産や飲食店も紹介しています。喜三二と蔦重のタッグはのりのりだったのだろうと想像できる楽しい一冊になっています。
多数の吉原名物が五十間道には並んでいた。
[娼妃地理記 序] 出典:国書データベース 木版本 17.3×11.6cm 総六十丁
More - おすすめ作品 「風来六々部集 前編下 飛花落葉」 2025年4月1日

江戸一のアイデアマン平賀源内のコピー集あの名コピー「歯みがき漱石香」を全文掲載
平賀源内は多才なアイデアマンであったと同時に一流のコピーライターでした。「土用丑の日はウナギの日」のキャッチコピーは、源内のアイデアというのが通説です。今回の「風来六々部集」に紹介されているのは、「大河ドラマ~べらぼう」第二話で蔦重と花野井(のちの瀬川)が読んでいた「嗽石香(そうせきこう)」という歯磨き粉発売の引札に書いてあった広告コピーです。(ひきふだ:宣伝チラシのこと)その内容は芝居口上で「はこいり歯みがき漱石香、歯をしろくし口中悪しき匂ひをさる」と案内しています。浮世絵カフェでは明治17年に制作された「風来六々部集」を常時展示しています。
平賀源内の肖像。通人に好まれた文金風の髷。男色家としても有名だったがエレキテルの修正販売や、鉱山開発を手掛けつつ狂歌もたしなむ多彩な才能に恵まれた。しかしながら最後は獄中死であった。
1769(明和6)年、平賀源内は恵比寿屋兵助の依頼で引札「嗽石香(そうせきこう)」の宣伝文を書きました。源内は有名人でしたが浪人の身分だったので藩からの固定収入はなかったようです。収入を得るために、鉱山開発に始まりエレキテルで見世物をだしたり、戯作を書いたりと版元の依頼に応じて執筆したと思われます。
日本の最初のコピーライターは平賀源内であるといわれています。「風来六々部集 飛花落葉」という宣伝集があります。これは1783(天明3)年、源内の死後、引札文だけを集めて編纂されたものですが「嗽石香」のコピーはこの中に掲載されています。
嗽石香の引札にあったコピー全文
浮世絵カフェ 蔵書
【ストーリー】「トウザイ、トウザイ」・・・私住所の儀(てっぽう町裏店の住人 川合惣助元無:源内自身)、八方は八つ棟作り四方に四面の蔵を建てようと思っているのですが、私は商いの損相つづき、困っているところに、さる御方が元手のいらぬ歯磨き粉の販売を教えてくれました
隠すのも野暮なので、ぶっちゃけバラしますが、防州の砂に匂いを付けたもの、教え通りに薬種を選び念入りに調合しました。歯を白くするだけでなく富士の山ほどの効能があると聞きました。しかし、効くのか効かぬか、私にはわかりません。でも、たかが歯磨き、ほかの効能なくても害も無いでしょう。今回は20袋分を1箱に入れています。使い勝手が良いので、たくさん安く売って利益を上げようと思っているところです。正直言うとお金が欲しさに早々に売り出すことにしました。お使いになって万一良くなく、捨ててしまっても、たかが知れた損でしょう。私の方はちりも積もって山となります。もし良い品とご評判いただけば表通りに店を出し、金看板を輝かせて今の難儀を昔話としましょう。
てっぽう町裏店の住人 川合惣助元無(源内の匿名)売弘所 恵比寿屋兵助」
源内は本音をさらけ出すことで、むしろ江戸っ子たちの洒落心をくすぐる、テンポの良い引札を複数書いています。
蔦重はこのような威勢よく面白い引き札をたびたび見たのでしょう。吉原細見で序を平賀源内に依頼したのも納得できますね。
木版本 17.3×11.6cm 総六十丁[概要]江戸後期の狂文集。二冊六編からなる。風来山人(平賀源内)の作。安永九年(1780年)刊。明和・安永年中(1764年から1781年)に発売された六編の戯文を集められた書。「放屁論」「痿陰隠逸伝」等。
More - おすすめ作品 『堪忍袋緒〆善玉(かんにんぶくろおじめのぜんだま)』 2025年4月1日

善玉悪玉の元祖が善悪の教訓を楽しく表現蔦重と京伝が作った傑作の草双紙
下の画像は堪忍袋緒〆善玉の冒頭の絵だ。
現代でもありそうな、編集者と作家のやり取りを描いた作品です。
山東京伝の自宅に原稿取りに訪れている蔦屋重三郎。左の机に座っているのが京伝(京伝鼻が可愛い)。お茶を出しているのが京伝の妻お菊です。蔦屋の紋付で判りますが、右に座るのは蔦重です。
このページでは蔦重が「たとえ足を擂粉木(すりこぎ)にして通って、声をからし味噌にして~云々~先生の善玉悪玉の作を願わねばならぬ」と京伝に催促してるシーンです。画を描いているのも山東京伝(北尾政演)です。
京伝作画の黄表紙(きびょうし)『堪忍袋緒〆善玉(かんにんぶくろおじめのぜんだま)』(寛政5年〈1793〉刊。蔦屋重三郎版)より。浮世絵カフェにオリジナル在庫あり。
『堪忍袋緒〆善玉(かんにんぶくろおじめのぜんだま)』江戸時代後期の文化や社会情勢を映し出す人気の草双紙です。この作品では、善悪の心をテーマにした教訓本としての役割をもっており、表現が規制された寛政の改革下で出版業にとっては厳しい社会背景の中で執筆されました。
[ストーリー] 善と悪の象徴である「善玉」と「悪玉」が人間の心を巡って対立するストーリーです。悪玉は男たちに悪行をそそのかし、彼らの道徳心を揺るがそうとします。その一方では善玉はその行動を阻止し、心の改悛を促します。男の心理では善悪の葛藤を通じて、人間の道徳観をはかり最終的には善行の重要性を説くながれになっています。
悪玉が男を誘惑する。善玉が引き留めている図。軽妙なタッチで目玉のおやじのようなキャラクターは人気になった。この後「悪玉踊り」が流行した。
本作品では寛政の改革期における社会的な教育方針、質素倹約の強化の流れと連動しています。田沼意次の失脚以降に松平定信は社会の秩序を維持するため、出版物にも厳しく監視の目をむけています。黄表紙でゴシップ的な話題をテーマにするよりも、『堪忍袋緒〆善玉』のような教訓的なテーマを持つ作品が支持されたのです。ただの教訓だと面白くないので、蔦重と京伝は面白い挿絵とストーリーを考えて読者を惹きつけたのでしょう。ある意味では寛政の改革だから生まれたのが「堪忍袋緒〆善玉」だったのかもしれませんね。
堪忍袋緒〆善玉のオリジナル(複製ではありません)が浮世絵カフェでは常設展示されています。
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