甘露梅(かんろばい)

新吉原を代表する贈答菓子
ご贔屓客に配られた通のあかし

甘露梅は、江戸時代の新吉原を代表する名物菓子で、青梅を赤紫蘇の葉で包み、砂糖漬けにした上品な保存菓子です。現在では小田原名物として求肥と餡を使った「甘露梅」が知られていますが、本来の甘露梅は新吉原で生まれた梅菓子でした。

甘露梅が作られ始めたのは十八世紀中頃で、最初に製法を考案したのは、新吉原の菓子商「松屋庄兵衛」と伝えられています。『吉原大全』(1768年)には「甘露梅は松屋庄兵衛手製しはじむ」と記され、さらに『郭中名物論』(1780年)では「吉原第一の名物」と紹介されるほど人気を集めました。水道尻にあった「山口屋半四郎」も同じく吉原名物として知られたようで蔦屋重三郎が刊行した「吉原細見 籬乃花 」 安永4年(1775)

でも巻末の吉原名物の一覧で紹介されています。「松屋が初めて販売したようですが、実際には各郭で手製にてつくっていたのが先か?松屋が先か?判然としません。守貞漫稿では「桐折大さ長四寸約15cm  幅二寸八約10.5cm分  高二寸約8cm。

蓋けだし上げ底にて梅一層およそ二十四顆かを納む。柔核の小梅に一顆か毎に紫蘇葉に包み製す」と紹介されている。

新吉原の引手茶屋や妓楼でも甘露梅を手製していました。毎年五月頃、梅の実がまだ青いうちに収穫し、一粒ずつ丁寧に種を抜きます。その実を赤紫蘇の葉で包み、たっぷりの砂糖とともに甕へ漬け込みます。漬け込み期間は半年から一年半にも及び、さらに熟成させて翌年、あるいは二年後の正月に完成品として取り出しました。この長い熟成期間によって、梅の酸味がまろやかになり、紫蘇の香りと砂糖の甘味が一体となった深い風味が生まれました。妓楼では遊女たちも総出で仕込みを行ったと伝えられています。

その味わいは、現在の梅干しとは大きく異なります。口に入れると、まず砂糖のやさしい甘味が広がり、その後に青梅特有の爽やかな酸味と赤紫蘇の香りが追いかけてきます。果肉は柔らかく、蜜を含んだ上品な甘酸っぱさが特徴で、濃い茶や酒の席にもよく合いました。一部では山椒もつかって甘酸っぱさにぴりりと辛みも効かせたようです。保存性も高く、見た目も美しかったことから、高級な贈答品として珍重されました。

甘露梅は一般販売される菓子というより、正月に上客へ贈る特別な進物でした。新吉原では一年間世話になった大店の主人や豪商、大名、旗本などの常連客へ、妓楼や引手茶屋が自家製の甘露梅を贈る習慣がありました。そのため「吉原の正月といえば甘露梅」といわれるほど、格式ある贈答品となりました。

新吉原を舞台に活躍した山東京伝や、版元として吉原文化を広めた蔦屋重三郎の時代には、甘露梅はすでに吉原名物として広く知られていました。また、「甘露梅、女芸者の加役なり」という川柳が残されており、芸者や遊女が贈答品の準備に関わる様子が当時の風俗として親しまれていたことがうかがえます。 甘露梅は単なる菓子ではなく、新吉原のもてなしの心と贈答文化を象徴する名物でした。一粒の小さな梅には、遊女たちの手仕事、季節感、そして上客への感謝の気持ちが込められていたのです。

甘露梅の作り方
「仲ノ町 甘露梅の仕込み図」
画:歌川豊国 3世 
刊行年:文政年間