甘藷百珍(いもひゃくちん)

書名:『甘藷百珍』 
刊行年 文化13 もしくは寛政11年(1799年) 諸説あり
板元
〈江戸〉鶴屋/金助
 〈京〉堺屋/嘉七
 〈大阪〉塩屋/長兵衛
 〈大阪〉塩屋/喜助
作者:浪華の文人 珍古楼主人(ちんころうしゅじん)
• 内容:サツマイモを用いた料理約123種を紹介
• 分類:江戸時代の「百珍物」

【概要】

『甘藷百珍(かんしょひゃくちん)』は、江戸時代後期の寛政11年(1799年)に刊行された、サツマイモ(甘藷)料理を集めた料理書です。※「百珍物」と呼ばれる料理本の一つで、日本の食文化史を知るうえで重要な書物として知られています。『甘藷百珍』には単なる料理法だけでなく、

  • 食材の選び方
  • 調理の火加減
  • 盛り付け
  • 酒席や季節に応じた献立

なども記されており、江戸後期の豊かな食文化と美意識を伝えています。当時の庶民の食生活を知る貴重な史料です。

焼芋は江戸庶民の人気のおやつであり、

「栗(九里)より(四里)うまい十三里」という売り声で知られていました。

サツマイモが救荒作物から日常食やご馳走へと変化した過程を示しており江戸人の創意工夫を垣間見れます。

さつまいものレシピを4カテゴリーに分類して123種紹介している。

奇品 (めずらしい料理)63品

尋常品(一般的な料理) 21品

妙品(くふうした料理) 28品

絶品 (おすすめ料理)11品

※「百珍物」とは、一つの食材について多種多様な料理法を紹介する料理書で、『豆腐百珍』(1782年)の流行に続いて出版されました。※

書名刊行年主な食材
『豆腐百珍』1782年豆腐
『万宝料理秘密箱』1785年各種料理
『甘藷百珍』1799年サツマイモ
『蒟蒻百珍』1846年コンニャク

当店、浮世絵カフェでは絶品から「いも田楽」と奇品から「御手洗いも」を再現してご提供しております。

■いも田楽 (絶品)レシピ

「甘藷を蒸し、皮を去り、寸ばかりに切り、串にさし、味噌を塗りて焼く。」

  1. サツマイモを蒸す。
  2. 皮をむく。
  3. 一寸(約3cm)ほどの大きさに切る。
  4. 串に刺す。
  5. 味噌を塗る。
  6. 炭火で香ばしく焼く。

■御手洗芋(奇品) レシピ

「生にて擦り、麺粉少し入れ、金柑の大さに取りて蒸しあげ、青竹の串に五つ宛さし、砂糖豆油つけ焼きにする」

1 生のサツマイモをすりおろす。

2  小麦粉(うどん粉)を少量加える。

3  金柑ほどの大きさに丸める。

4  蒸し上げる。

5  青竹の串に5個ずつ刺す。

6  砂糖醤油をつけながら焼く。

甘藷百珍 出典 国書データベース

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「青楼後朝雨」(せいろう きぬぎぬのあめ)

版元;蔦屋重三郎
画師;栄松斎長喜
刊行年;寛政4年から10年 当店の蔵書は昭和年代の複製
出典;画像はボストン博物館

『青楼後朝雨』 は、寛政期を代表する浮世絵師・栄松斎長喜による美人画である。描かれた場所は大店の松葉屋の花魁、禿達の朝の様子を描いたようです。後朝の花魁の気持ちを代弁したようなウエット的(雨)な発句が寄せてあり、題名の後朝の雨につながっているようです。「後朝(きぬぎぬ)」とは男女が契りを交わした翌朝を意味し、平安文学以来の恋愛表現として広く知られていた。本図は吉原遊郭を舞台に、客との別れの後に訪れるけだるく物寂しい朝の情景を描いている。

この作品は単なる「美人画」ではなく、吉原文化の物語性を一枚の画面に凝縮した作品として評価できます。

「後朝(きぬぎぬ)」とは本来、

  • 遊客が帰る朝
  • 男女が別れる朝
  • 交歓の余韻が残る時間

を意味します。江戸の吉原では、客は明け六つ(早朝)まで滞在し、その後に大門から帰りました。

長喜はこの瞬間を、

  • 朝の静寂
  • 女性の仕草

によって詩的に表現しています。雨は単なる気象表現ではなく、「恋の名残」「別離の寂しさ」を象徴していると考えられます。遊女の心に残る恋の余韻や別離の哀感を象徴する。こうした情緒性は、華やかな吉原文化の裏側にある人間の感情を描き出したものとして高く評価される。

余談ですが、後朝をテーマにした和歌が平安時代の源氏物語や万葉集などに多数掲載されています。「後朝の文(ふみ)」と言って、帰宅後に男性から女性に手紙や和歌を送る風習がありました。江戸時代でも廓の女郎がマブと手紙のやりとりをしていたようです。

源氏物語から後朝の文の一例。

見てもまた逢ふ夜まれなる夢のうちに やがてまぎるる我が身ともがな

これは、光源氏が義母と禁断の恋愛での光が後朝に詠んだものです。

【栄松斎長喜】

長喜は鳥山石燕門下に学び、喜多川歌麿と同門の絵師であった。出自も年齢も不明確で謎多き絵師でした。歌麿が女性の表情や心理を大首絵によって追求したのに対し、長喜は全身像による優雅な姿態表現を得意とした。細長い首、しなやかな身体、流れるような衣文線は長喜独自の様式であり、本図にもその特色が顕著にみられる。

長喜は版元・蔦屋重三郎に見出され、歌麿・写楽と並ぶ重要な絵師として売り出された。ポスト歌麿の最有力候補だった。本図も蔦屋が推進した寛政期美人画の流れのなかで生み出された代表作の一つであり、吉原文化と浮世絵出版文化の成熟を示す貴重な作品です。