夏の風物詩を灯籠流しの起源とは?謎のゆりかもめの灯籠ながしが隅田川で人気に!有名団子やの入銀がきっかけ?

隅田川灯篭流し涼の真景
版元 長谷川?
画工 歌川国貞三世
浮世絵カフェの蔵書

三社祭りが5月におわって浅草周辺では毎週のように夏イベントが実施されます。植木市、ほおずき市、隅田川の花火大会、灯篭流しへと。。。

本作品である「隅田川灯籠流し涼の真景」は明治11年に3代歌川国政によって描かれました。

現在ひろく知られる「隅田川とうろう流し」は、昭和21年(1946年)に終戦後の慰霊と浅草復興祭の一環として最初に行われました。関東大震災や東京大空襲など、隅田川沿岸で犠牲となった多くの方々の霊を弔い、平和を祈る法要として開始されました。現在では浅草隅田の夏三風物詩となっています。

 国貞が描いたこちらの浮世絵は珍しい作品です。

  1. ちりめん加工されている。(ぼろいだけという説もありますがちりめん絵ということで仕入れてますが・・・)ちりめんとは和紙で作られた浮世絵を木槌でたたいて加工してしわしわな手触りをたのしむ本や浮世絵です。 
  2. 江戸後期から明治11年までに実際に催した灯篭流しの風景と推測しますが、灯篭が「ゆりかもめ」?しかも大量で異様な光景です。

 これまで国書など調べていますが所以がわからなかった作品です。いつからゆりかもめの灯籠流しがはじまったのか?なぜ途絶えて誰もしらないのか?時期と理由をふくめて謎が多い画なのです。なお、江戸時代以前からゆりかもめは「都鳥」とも呼ばれていました。現在は東京都民の鳥としてなじみ深い鳥です。

絵の見どころ。

本作品の解説は探したが見当たらずですが、数点わかる範囲でご案内します。

  • ゆりかもめの灯籠が木船に張り子で作られてます。画だからこそ本物か?と見間違うレベルで再現されている。すごい!明治11年前後にはゆりかもめで灯ろう流しする慣習があったのかも?
  • ゆりかもめを釣り上げている竿がある(真ん中の絵) つりかもめを釣り竿で釣っていた?もしくはリリースしていたと思われます。さらに遠目には巨大ゆりかもめも認められます。
  • 屋形船には役者や柳橋の芸者が便乗していると思われます。
  • 背景には筑波山まで見通せる風光明媚な場所(森真崎周辺;現在の白髭橋周辺だと推測します)
  • 時期は川開き以降で5月28日以降の3か月以内だと思われます。

大川(隅田川)両国の川開きは旧暦5月28日の川開きから川じまいの8月28日まで、両国橋のたもとの広小路や川端に芝居小屋や露店、屋台の夜店の出店が期間限定で許可されました。船宿や料理茶屋が客をもてなす納涼船も許可されました。八代将軍・徳川吉宗の時代、享保18(1733)年の川開きに初めて花火が打ち上げられ、これが現在の隅田川花火大会の起源とされています。許可された3カ月の納涼期間中の灯籠流しは実施されたと思われます。

■灯籠流しは言問団子の広告が起源か? 

言問団子のはじまりは、明治元年(1869)「植佐」と呼ばれた植木職人・外山佐吉が、隅田川の堤に茶店を開き、団子を売り始めたのが始まり。商品名の由来は在原業平が詠んだ『古今和歌集』に、都鳥に“言問う”という語があった。その古歌にちなみ、団子に『言問団子』としたそうだ。

「名にしおはば 言問はん都鳥 我が思ふ人は ありやなしやと」

墨水流燈会之記
明治20年刊
版元 新七(言問団子二代目)

【画工紹介】

梅堂国政 バイドウ クニマサ(四代国政→明治22年歌川国貞三代を襲名)

江戸日本橋に生まれる。本名は竹内栄久。幼名は期太郎。四代歌川国政。15歳で初代歌川国貞門下に学びはじめたが、3年後に師匠がなくなった。その後は二代国貞に学んだ。1889(明治22)年に三代香蝶楼国貞を襲名。一寿斎、香蝶桜とも号し、国貞襲名以降は豊斎、芳斎などと称した。南総里見八犬伝、桃太郎鬼ヶ島でん、赤穂義士村松三太夫伝など表紙と挿絵を多数描いた。また役者絵や明治の開化絵として蒸気機関車を多数のこした。