歌川芳虎 錦絵『明烏夢泡雪』の背景と魅力

【作品基本情報】
・作者(絵師):
歌川芳虎(うたがわ よしとら)
・刊行年: 嘉永4年(1851年)3月
・板元(版元): 加賀屋吉兵衛(かがや きちべえ)

一、江戸を震撼させた実在の悲恋——「三河島心中事件」の真相

本作『明烏夢泡雪(あけがらす ゆめの あわゆき)』は、江戸時代に実在したショッキングな情死事件をモチーフにしています。江戸の人々を涙させたこの悲恋の引き金となったのは、明和6年(1769年)7月3日に発生した心中事件でした。

・明和6年(1769年)7月3日(または明和3年説あり)
・ 江戸郊外の三河島(現在の東京都荒川区周辺)の田んぼ、あるいは山谷堀近くの宮戸川(隅田川)
・浅草蔵前の札差(または呉服屋)伊勢屋の若旦那(養子)であった伊之助と、吉原の「蔦屋」に籍を置いていた遊女・三吉野(みよしの)
・ 身分違いの恋ゆえに、決して添い遂げられない厳しい現実を儚み、来世での結ばれを誓って「情死(心中)」を選びました。※諸説あります。

当時の江戸における吉原の遊女は、多額の借金(前借金)のカタに縛られた自由のない身でした。一方の伊之助は、莫大な富を動かす蔵前の札差という裕服な商人の跡取り息子です。二人は深い相思相愛の関係になりますが、遊女の身請けには法外な金が必要であり、また格式ある商家の世継ぎが遊女を正妻に迎えることは世間体が許しませんでした。

義理や格式、金銭の束縛といった「廓の厳しい掟」と「世間の目」に追い詰められた二人は、ついに吉原を抜け出し、当時は静かな農村地帯であった三河島の地(あるいは川沿い)へと向かいます。夏の夜の明け方、カラスの鳴き声が響く中で命を絶った二人の痛ましい姿は、当時の江戸市中に瞬く間に広まり、人々の同情を誘う大事件となりました。

二、事件から芸能へ——脚色された『明烏夢泡雪』

この悲劇的な事件をいち早く芸能に昇華させたのが、江戸浄瑠璃の一種である「新内節」の創始者・初代鶴賀若狭掾です。安永元年(1772年)に発表された新内『明烏夢泡雪』では、登場人物の名前が「春日屋時次郎」と「山名屋浦里」へと置き換えられ、よりドラマチックな物語へと脚色されました。

物語のクライマックスである「雪責め」の段では、時次郎に会いたい一心で掟を破った浦里が、怒った山名屋の主人によって雪の降る奥庭の古木に縛り付けられ、厳しく責め立てられます。そこへ時次郎が駆けつけ、彼女を救い出して命がけの逃避行へと向かう姿が描かれます。三河島での凄惨な心中事件の記憶は、こうした美しい「雪と悲恋」のビジュアルへと昇華され、江戸のエンターテインメントとして定着していきました。

三、嘉永四年の芝居熱と絵師・歌川芳虎の筆力

本作が刊行された嘉永4年(1851年)3月、江戸の「市村座」ではこの明烏ものをベースとした清元節の舞踊劇『明烏花濡衣』が上演され、空前の大ヒットを記録していました。主役の時次郎を演じたのは、当時絶大な人気を誇り、のちに悲劇的な最期を遂げることでも知られる美貌の天才役者・八代目市川團十郎です。そして浦里役は、女方の名優・初代坂東しうかが務めました。

絵師の歌川芳虎は、名匠・歌川国芳の門人であり、師譲りのダイナミックな構図と生き生きとした人物描写を得意とした絵師です。芳虎は、舞台上の團十郎としうかが醸し出す、緊迫感とエロティシズムが入り混じった一瞬の美事を見事に捉え、錦絵のなかに定着させました。雪の白さと役者の鮮やかな衣装のコントラスト、配置された線の鋭さによって、二人の秘めたる情熱が力強く表現されています。

四、版元・加賀屋吉兵衛が果たしたメディアの役割

この錦絵を出版した加賀屋吉兵衛は、当時の江戸を代表する有力な板元(版元)の一つです。当時は、人気の舞台が上演されると同時に、その名場面をいち早く美しく刷り上げてファンに届けるという、現代のプロマイドやグラビア雑誌のような商業システムが確立されていました。加賀屋吉兵衛の手腕と芳虎の画力、操作された流通網、そして実在の心中事件から紡がれた「明烏」の伝統的なストーリーが見事に融合した本作は、当時の江戸庶民が熱狂した歌舞伎文化と、出版メディアの隆盛を今に伝える貴重な歴史的資料と言えます。