雛形若菜初模様』作品解説

1.『雛形若菜初模様』シリーズ概要

― 吉原の遊女と最新ファッションを描いた華麗なる美人画

作品名:雛形若菜初模様(ひながたわかなのはつもよう)
絵師:礒田湖龍斎(いそだ こりゅうさい) 鳥居清長
版元:西村屋与八(永寿堂)・蔦屋重三郎(耕書堂)〔シリーズ初期〕
刊行年:安永4年(1775)頃~
形式:大判錦絵・揃物

『雛形若菜初模様』は、江戸・新吉原の実在する遊女たちを、華麗な衣裳とともに描いた礒田湖龍斎の代表的な美人画シリーズである。安永4年(1775)頃から刊行され、絵師は鳥居清長に引き継がれて100図を超える大規模な揃物へと発展した。湖龍斎と鳥居清長の代表作であると同時に、江戸時代の美人画史を考えるうえでも重要な作品である。

題名にある「雛形」とは、衣裳や染織、模様などの見本を意味する。「初模様」は新年に向けて新調された晴れ着の意匠を指し、本作では吉原の人気遊女たちが、趣向を凝らした最新の衣裳をまとって登場する。そのため本シリーズは、美人を鑑賞する浮世絵であると同時に、江戸の人々に最新の流行を伝える、いわば「江戸時代のファッションカタログ」としての性格を持っていた。

画中には遊女の姿だけでなく、所属する妓楼の名や遊女名が記されている。鑑賞者は単なる理想化された美人を見るのではなく、「吉原のどの店の、誰であるか」を知りながら作品を楽しむことができた。現在の感覚でいえば、人気モデルや芸能人が最新ファッションを披露する雑誌や広告にも似ている。吉原の遊女は美貌だけでなく、衣裳、髪形、立ち居振る舞い、教養などを含めて江戸の流行を先導する存在でもあり、その華やかな姿は吉原を訪れない人々にとっても憧れの対象であった。

湖龍斎は、衣裳の模様や帯の意匠を細部まで丹念に描きながら、それぞれの遊女の姿態や雰囲気にも変化を持たせた。錦絵ならではの鮮やかな多色摺によって、豪華な打掛や帯、季節を象徴する文様が画面いっぱいに展開される。美人そのものと同じほど衣裳が重要な主役となっていることが、このシリーズの大きな特徴である。

出版史の面で特に注目されるのが、シリーズ初期に西村屋与八と蔦屋重三郎が共同版元として名を連ねていることである。西村屋与八は江戸を代表する有力な地本問屋であった。一方、この時期の蔦屋重三郎は、吉原を活動の基盤として出版界へ進出し始めた若い版元である。初期の約12図に両者の版元印が確認され、その後は西村屋が単独で出版を継続したと考えられている。

この共同出版は、蔦重の出版人としての成長を考えるうえで興味深い。蔦重は吉原に生まれ育ち、遊女や妓楼、年中行事、流行など吉原内部の情報に精通していた。安永3年(1774)には吉原細見『細見嗚呼御江戸』の出版に関わり、さらに吉原の遊女を花に見立てた『一目千本』など、吉原文化そのものを魅力的な出版物へ変えていった。『雛形若菜初模様』もまた、その延長線上に位置する作品といえる。

つまり本作では、西村屋の出版力、湖龍斎の描写力、そして蔦重が熟知していた吉原の情報と流行が結びついたのである。実在の人気遊女、最新の衣裳、華麗な錦絵という三つの要素を組み合わせることで、吉原そのものが一つの魅力的な「ブランド」として江戸市中へ発信された。

シリーズは好評を博し、蔦重が共同出版から離れた後も西村屋によって刊行が続けられた。やがて湖龍斎から鳥居清長へ引き継がれて雛形若菜の表現はさらに発展していく。そして蔦重自身も後年、喜多川歌麿を起用し、吉原の遊女や市井の女性をスターとして世に送り出すことになる。

『雛形若菜初模様』は、華麗な遊女美人画であるだけではない。吉原という盛り場が生み出す「美人」「衣裳」「流行」「情報」を出版商品へと変えた作品であり、江戸のファッション文化と浮世絵出版が密接に結びついていたことを今日に伝えている。

そして蔦屋重三郎の出版史から見れば、本作は老舗版元・西村屋与八との共同出版を通じて、吉原を舞台とした出版から本格的な錦絵出版へ活動を広げていく時期を示す重要な作品である。後に歌麿とともに美人画の新時代を築く蔦重。その原点の一つを、『雛形若菜初模様』に見ることができる。

2.『雛形若菜初模様 越前屋内 もろこし』

 「もろこし」  
Museum of Fine Arts 「白つゆ」ボストン美術館
「瀬川」 国立文化財機構所蔵品統合検索システム
絵師:礒田湖龍斎
版元:蔦屋重三郎・西村屋与八
刊行:安永4~5年(1775~76)頃
形式:大判錦絵
展示作品:江戸期のオリジナル版木を利用した後摺と思われる(耕書堂印のみで西村屋印が削除されている。)University of Wisconsin-Madisonと同じ作品

本図に描かれている「もろこし」は、新吉原・江戸町一丁目の妓楼「越前屋」に所属した遊女である。湖龍斎は、華麗な衣裳をまとったもろこしが、小さな男児を頭上に高く抱き上げ、その傍らに禿が立つ姿を描いている。高位の遊女を静的な美女として見せるのではなく、子供と戯れる一瞬を捉えた、親しみと動きに満ちた一図である。同時に、豪華な着物や帯の意匠は「雛形=衣裳見本」という本シリーズの特徴をよく示している。

興味深いのは、「もろこし」という名前である。約18年後の寛政期になると、同じ越前屋に「唐土(もろこし)」という名妓が登場する。鳥文斎栄之は『青楼美人六花仙』で唐土を百合に見立て、短冊を前に歌を考える教養豊かな女性として描いた。さらに寛政6年(1794)、喜多川歌麿も『当時全盛美人揃』で「越前屋内唐土」を描き、当代を代表する美人として紹介している。

安永期の「もろこし」と寛政期の「唐土」が同一人物とは考えにくく、越前屋で「もろこし」という遊女名が受け継がれていた可能性が考えられる。確証にはなお史料調査を要するものの、もし名跡として継承されたのであれば、それは「もろこし」が越前屋を象徴する特別な名前であったことを示している。

そして本図は、若き蔦屋重三郎が西村屋与八と共同で刊行したシリーズ初期の作品でもある。湖龍斎が描いた安永期の「もろこし」から、約二十年後に栄之や歌麿が描く「唐土」へ――。一人の遊女名を追うことで、吉原の歴史とともに、湖龍斎から栄之・歌麿へと移り変わる江戸美人画の系譜まで見えてくる。さらに展示作品については、珍しい細工がされている。本来は西村屋と耕書堂の押印の2つがあるはずが、西村屋印だけが削除されている。本作は江戸後期の後摺と思われるが、販売した版元が西村屋だけを外した理由は不明だ。後摺のばあいは、版木を保有している、版元印に書き換えることが普通である。推測ではあるが、西村屋印を落として蔦屋重三郎の2代目か3代目かが後摺したと考えるのが自然だと思われる。初代が西村屋に出し抜かれた経緯を考えると、この後摺をつかって西村屋へリベンジしたことになる。このような物語を考えることも浮世絵の愉しみ方のひとつ。人気作品については、版木が売却されたり、再刻されてながく使われていく。版木を著作権管理のルーツとして考えると、版木の再利用の過程や流通を考えさせられる非常に興味深い一枚である。

3.『雛形若菜の初模様 若那屋内 しら露 花の・なみし』

作品名:雛形若菜の初模様 若那屋内 しら露 花の・なみし
絵師:礒田湖龍斎
版元:西村屋与八
刊行:安永7年~天明元年(1778~81)頃
形式:大判錦絵
展示作品:江戸期の後摺と思われる

本図は、吉原の大見世「若那屋」の遊女・しら露(白露)と、二人の禿「花の」「なみし」を描いた一枚である。若那屋は吉原を代表する有力な妓楼の一つで、後世の『吉原細見』などにもその名が見え、主人は「若那屋八左衛門」の名を代々受け継いだとされる。画面では、華やかな衣裳をまとったしら露を中心に禿を従わせ、遊女個人の美貌だけでなく、大見世に所属する高位の遊女が備えた格式と豪奢な装いを印象づけている。

しら露は湖龍斎の別の版本にも登場する。安永6年(1777)の『吾妻錦松の位』には、若那屋の「しら露」が禿を伴って記されており、本図と近い時期に実在した若那屋の有力遊女であったことがうかがえる。本図の「花の」「なみし」も、しら露に付き従う禿(背丈から思慮すると新造の可能性あり)の名であり、花魁だけでなく禿まで実名で紹介する点に、『雛形若菜初模様』が吉原の最新情報を伝えるメディアでもあったことがよく表れている。

さらに興味深いのは、「白露」の名がその後も若那屋を代表する名妓として現れることである。寛政6~7年(1794~95)頃には、喜多川歌麿が『青楼七小町』で「若那屋内白露」を描き、寛政6年頃の『名取酒六家選』男山のお酒の広告にも白露が登場する。安永期のしら露と寛政期の白露が同一人物か、あるいは若那屋で受け継がれた遊女名なのかは断定できない。しかし、約二十年にわたり「白露」の名が若那屋と結びついて浮世絵に登場する事実は注目される。湖龍斎から歌麿へ――本図は、吉原の名妓と美人画の系譜をつなぐ重要な一枚といえる。

4.『雛形若菜の初模様 松葉屋内 瀬川』

作品名:雛形若菜の初模様 松葉屋内 瀬川 さゝの・竹の
絵師:鳥居清長
版元:西村屋与八
刊行:天明期(1780年代前半)
形式:大判錦絵
展示作品:江戸期の後摺と思われる。

本図は、吉原を代表する妓楼の一つ「松葉屋」の名妓・五代目瀬川と、二人の禿「さゝの」「竹の」を描いた作品である。「瀬川」は松葉屋を代表する遊女が代々襲名した名跡であり、吉原でも特に名高い遊女の名であった。

画面でまず目を引くのは、中央に立つ瀬川の堂々とした姿である。清長は女性の身体をすらりと長く描くことで知られ、本図でも湖龍斎時代の美人画とは異なる、伸びやかで洗練された女性像をつくり出している。あらたに絵師を鳥居清長に変えて雛形若菜シリーズのイメージを刷新した記念の作品でもある。その傍らに二人の禿を配することで、瀬川の高い格式と華やかな存在感がいっそう際立っている。

注目したいのは三人の衣裳である。瀬川と禿には共通する意匠が用いられ、主従が一体となって装う華麗さそのものが、松葉屋と瀬川の格式を示している。「雛形=衣裳見本」というシリーズの性格が、非常によく表れた一枚である。

このシリーズは礒田湖龍斎が長く手掛けたが、後期には鳥居清長が作画を引き継いだ。清長は遊女を単なる衣裳のモデルとしてではなく、長身で健康的な身体を持つ女性として表現し、美人画に新しい時代をもたらした。本図は、湖龍斎から清長へと美人画の主役が移っていく時代を象徴する作品としても重要である。