【絵本東土産】黄表紙の叢書(そうしょ)
江戸生まれの地本が上方・地方で大人気に
今回のテーマは江戸時代の叢書というビジネスモデルです。
書物は上方。地本は江戸。日本橋の版元の大半は上方の支店だった。書肆は上方が本場だったのだ。江戸の地本問屋の隆盛は恋川春町の黄表紙から快進撃。黄表紙・洒落本・滑稽本・狂歌絵本など草双紙が飛ぶように売れて江戸文学の黄金期を蔦屋重三郎たち地本問屋が地本の黄金期を創ったのだ。
寛政9年に初代蔦屋重三郎が亡くなった。その後に耕書堂の作品は勇助こと二代目蔦屋重三郎が受け継いだ。初代の食客・手代などとしてかかわってきた曲亭馬琴・十辺舎一九・山東京伝たちは引き続き二代目蔦屋重三郎と作品を作っていった。しかしながら、勇助には初代ほどのカリスマ性はなかったようで耕書堂出身の戯作者たちは引く手数多で他の書肆から作品を発行するようになっていった。
徐々に耕書堂に陰りが見えてきたこの時期に、上方の版元 伊勢治が地本人気に目を付けた。力が落ち始めている二代目蔦屋重三郎と巨匠の山東京伝と手を組んで過去の版木を再利用する絵本東土産を刊行した。叢書(本の合本集)として84冊の本を「絵本東土産」という統一した題箋(タイトル)に変更してシリーズ本として再販したのが本作です。「絵本東土産」は享和頑年夏に京都銭屋長兵衛、江戸伊勢屋治助、蔦屋重三郎二代目、大阪播磨屋五兵衛らが4書肆合版で発売した。山東京伝がリメイク編集しているとしているが11冊しか山東京伝作品はなくて、ほか版元の再利用が主体だったのが実際。初版では作画なども削除してリメイクしたものもあったようだが、実態はほとんど手をかけない後摺の販売だったようだ。
版木は版元の著作権管理する財産でした。版元は事業が傾くと版木自体をほかの版元へ販売して再販(後摺)することがありました。新たな名前を付けて再販するなど、また一部を編纂して再活用すること事例もあります。
当店の蔵書は、この絵本東土産で使用した蔦谷重三郎が作ったオリジナル版木を用いて後摺りされた作品です。明治期に版木を一括で買い取った版元が再び出版したものが当店の蔵書となります。それもあって、表紙が統一された素材になっていました。明治期の再販については「絵本東土産」という叢書名は削除され、各々の黄表紙本来のタイトルが付されました。
浮世絵カフェ蔦重の蔵書はこの東土産自体ではありません。東土産で使用したオリジナル版木を使用した後摺りになります。題箋も表紙もそろえられています。
浮世絵カフェの蔵書 4冊(後摺黄表紙)
山東京伝、曲亭馬琴作の黄表紙です。9月未明に展示予定。ぜひ見に来てください。
①六冊掛徳用草紙②五大力三画訓読③売切申候切落咄④仮名手本胸之鏡

絵本東土産
上巻
表紙
出典 国書データベース
