太閤五妻洛東遊観之図

喜多川歌麿 画 | 1804年(文化元年) | 大判錦絵三枚続
※浮世絵カフェ蔦重の蔵書は復刻木版画です。
絵本太閤記の流行と作品
「太閤五妻洛東遊観之図」は、喜多川歌麿が豊臣秀吉とその妻たちを題材に描いた大判錦絵三枚続です。制作年は1804年(文化元年)。題材の背景には、武内確斎作・岡田玉山画『絵本太閤記』の流行がありました。同書は1797年から1802年に刊行され、秀吉の生涯を挿絵とともに描きました。その人気は錦絵にも広がり、歌麿をはじめとする絵師たちが太閤記に関連する作品を手がけました。
歌麿が描いた華やかな遊観
本作は秀吉と女性たちの洛東での遊観を描きます。三枚続の横長の画面に人物を配し、華やかな衣装や女性たちの表情を見せる構成は、歌麿が得意とした美人画の表現を生かしています。歴史上の題材に当時人気の美人画を重ねたところに、この作品の特徴があります。
幕府による取締り
江戸幕府は、天正年間以降の武将を実名や紋所などで特定できるように描く出版物を規制していました。本作には「太閤秀吉公」など人物を示す記載があり、『絵本太閤記』を題材とする錦絵が広く出回るなか、取締りの対象となりました。1804年には歌麿のほか、歌川豊国ら関係する絵師・版元にも処罰が及び、関連の書物や錦絵は絶版とされました。
入牢三日と手鎖五十日
歌麿は入牢3日のうえ、手鎖50日の処罰を受けたと伝えられています。入牢は牢に収容されること、手鎖は手を拘束して行動を制限する刑罰です。ただし、処罰の日数には史料による異同があるため、ここでは伝承として記します。歌麿はその後も制作を続け、1806年に没しました。処罰と死の直接の因果関係は確認できません。
出版文化を伝える作品
本作からは、読本の流行が錦絵へと広がった当時の出版文化と、その題材を統制しようとした幕府の動きが読み取れます。歌麿の美人画の魅力と、1804年の筆禍をともに伝える作品です。
資料と表記について
参考:The Metropolitan Museum of Art, “Triptych of the Taikō and His Five Wives Viewing Cherry Blossoms in the Eastern Hills” (作品情報・制作年1804年);立命館大学アート・リサーチセンター「『絵本太閤記』の世界」;太田記念美術館の歌麿筆禍解説。
