【大河ドラマ~べらぼう】第44話
失意の蔦重に希望をもたらした、平賀源内生存説
-scaled.jpg)
画像
歌撰恋之部 物思恋
画:喜多川歌麿
東京国立博物館 蔵
本草学者、発明家、戯作者、蘭画家として多彩な才能を発揮した、蔦重の人生の師・平賀源内は、安永8年に自ら酒のうえの過ちにより人を斬り殺したと出頭。その1か月後に獄中死したと伝わりますが、なぜ殺人に至ったかなど詳しいことはわかっておらず、また墓碑も遺体もないまま葬儀が行われたことから、根強い生存説があります。大河ドラマ「べらぼう」44話では、この源内生存説を軸に展開されました。ドラマの冒頭、前話で陣痛に襲われたていが死産の後に食事もとれず心身ともに衰弱。蔦重も死産と喜多川歌麿との決裂によるWショックから立ち直れず気力を失い、お店も活気を失っていきました。そんな折、駿府から重田貞一(のちの十返舎一九)が来店。上方で浄瑠璃本などを書いていた貞一は「蔦屋で本を書きたい」と願い出ますが、気力を失っていた蔦重は貞一の力量を認めながらも「よそで書いた方がよい」と断ります。それでも、諦められない貞一は袖の下と言って大きな相良凧を差し出し、凧の絵柄を描いたのは平賀源内で、源内は相良で生きていると話します。失意のどん底にあった蔦重とていは、この話をきっかけに少しずつ気力を取り戻していきます。真意を確かめるため、蔦重はまず蘭学者の杉田玄白のもとを訪れます。そこで、日本初の西洋医学解剖書として有名な「解体新書」の挿絵を描いたのは源内の蘭画の弟子・小田野直武で、源内が死んだ翌年に不審死を遂げたことを聞きます。そのため蔦重とていは、直武の死は源内先生を逃したことが原因ではと疑い始めます。その後、源内とゆかりのある人々を訪ね歩き、源内生存の可能性を探るなか、大田南畝から源内に託されたという絵「西洋婦人図」を見せられ、「今も絵師として生存しているのでは…」と希望をもち始めます。
一方、歌麿は吉原で版元たちに一席もたせ、「一番派手に遊んだところから仕事を引き受ける」という条件を出し、座敷で紙花をばらまかせました。これは歌麿流の吉原への恩返しでしたが、歌麿自身は気持ちが晴れず、どこか影を帯びた様子。ちょうどその頃、蔦屋では前話で歌麿が「恋心を描いた」と言って残した大首絵の下絵を完成させて販売することを、ていが提案。色も柄も決まっていないが、ていは「旦那様なら歌さんが使いそうなお色、柄など手に取るようにおわかりになるのではないですか」と、販売を促します。この絵は「歌撰恋之部」と題された、歌麿の代表作とも言われている美人大首絵の5枚揃いシリーズですが、ドラマでは「歌麿の絵はやはり蔦屋あってこそ」ということを歌麿に感じてもらい、二人の仲を修復したいという、ていの想いが込められたものとして描かれました。この想いを汲んだかのように、鶴屋が吉原の宴席で歌麿に絵を見せたものの、歌麿は「こんなものは紙クズ」と破り捨てました。ていの願いは歌麿に届かずでしたが、蔦重と歌麿の間にはこの先もまだまだ何か展開があるような予感がします。また、ドラマのラストで蔦重は思わぬ形で松平定信と再会。その場には三浦庄司、長谷川平蔵、柴野栗山、高岳といった錚々たる顔ぶれがおり、源内の死に深く携わったと思われる人物が同じ敵である可能性を匂わされ、宿怨を超えて共に戦うことを提案されます。今後、どんな展開が待っているか見逃せません。
