青楼の絵師 西洋画家に美人画を知らしめた喜多川歌麿

喜多川歌麿(きたがわ うたまろ)。美人画の歌麿。(生年不詳〜1806年)蔦谷重三郎の盟友。ぽペンを吹く娘。寛政3美人など浮世絵黄金期の中心的な人物として知られるのが喜多川歌麿だ。彼は女性の容貌や風情のみならず、内面や感情までも繊細に表現した作品で知られ、「大首絵(おおくびえ)」と呼ばれる構図によって、美人画を芸術の域へと高めました。

生涯を通じて2600点以上の作品を遺したとされているが、意外に歌麿自身のプライベートな情報が少ない。文化3年(享年54歳)に没し、浅草専光寺(台東区松ケ谷一丁目)に葬られたとされた情報は確かだが生年、幼少期、親族など情報がほとんどないのだ。生年については宝暦3年とする説もあるが本名の北川信美説をふくめて具体的なエビデンスはない。

 歌麿は狩野派の鳥山石燕に師事していた。十代の少年期は石要と称していた。歳旦帖「ちよのはる」の挿絵に茄子の挿絵があるが「少年・石要・画」と署名が残っている。

 その後に北川豊章と名乗るようになった。豊章と称して錦絵一枚絵として数枚の役者絵が現存しているが非常に貴重だ。歌麿と称したことを確認できる最古の絵は黄表紙「身貌大通神略縁起」の挿画絵師としてが、はじめて。歌麿の名を美人画の一枚絵を確認できるのは天明期の1780年代になってからだ。

ほかの絵師は吉原の描く華やかな衣装や催しを描くことが多かったのだが、歌麿は吉原の日常や暗部をふくめて描き続けた。さらに、当時としては珍しく表情や所作で人物を差別化して表現したことで、女性を艶めかしく描き「青楼の絵師」と呼ばれるようになった。

経歴と作風

若年期の詳細は不明ですが、狩野派や土佐派の影響を受けたと考えられています。のちに鳥山石燕の門下に学び、黄表紙や狂歌本の挿絵を手がけるなかで頭角を現します。天明後期から寛政年間(1789–1801)にかけて、版元・蔦屋重三郎の庇護のもとで多くの錦絵作品を発表し、江戸町人文化の中で絶大な人気を得ました。歌麿の作品の7割は耕書堂で発売したといわれている。

歌麿の作品は、それまでの理想化された美女像とは異なり、吉原の遊女や町娘、茶屋の看板娘など実在の女性を写実的に描きました。特に目元や口元に微妙な表情を宿らせ、言葉にしがたい感情の機微を表現する手法は、同時代の他の浮世絵師とは一線を画しています。

主な代表作(14点)

作品名概要
高名美人六家撰遊女や芸者の中でも評判の高い6人を描く。美人の格や品を伝える。
婦人相学十躰顔立ちから性格を推し量るという趣向で、美人の多様な個性を描出。
青楼仁和嘉女芸妓之部吉原の遊女を階級別に描いたシリーズ。教養・芸を備えた女性像が描かれる。
当時三美人町娘、芸者、遊女の3名の美人を並べた有名な構図で、顔立ちの違いが際立つ。
寛政三美人寛政年間に名高かった3名の実在女性をモデルにした作品。
ポッピンを吹く女玩具のガラス笛を吹く女性の姿を、日常の情景として捉えた秀作。
湯上がり美人湯上がりのリラックスした一瞬を描いた、色気と清潔感が同居する作品。
歌撰恋之部恋と和歌をテーマにしたシリーズで、感情豊かな美人像が登場。
百千鳥狂歌合狂歌と美人と鳥を組み合わせた趣向。ドイツで再評価され、クルト版も有名。
教訓親の目鑑美人と子供を描いた教訓的な作品で、母性と教育をテーマにしている。
絵本虫撰昆虫と女性を組み合わせた奇抜な趣向の版本。洒落と自然観察が融合。
あわび取り貝を採る海女を描いた作品で、女性の肉体美と労働の一面を表現。
青楼絵本年中行事遊郭における年中行事を絵入りで描いた版本。吉原文化の記録としても貴重。
雪月花豪華!幅5m超の巨大肉筆画。季節の情景「雪・月・花」を背景に女性像を描く詩情豊かなシリーズ。

晩年と規制

1804年、歌麿は歴史画《豊臣秀吉と淀君》を描いたことにより、幕府から「贅沢禁止令」違反とされ手鎖50日の処罰を受けました。この出来事以降、彼の創作意欲は衰え、1806年に没します。享年50代半ばと推定されます。

後世への影響

歌麿の作品は、19世紀以降に西洋に渡り、ジャポニスムの潮流を牽引しました。きっかけはドイツ人の美術批評家であるクルトが制作した『Die Momochidori des Kitagawa Utamaro』だった。クルトは、歌麿を中心に写楽、春信などを西洋に紹介した。クルトの批評をきかっけにしてモネ、ドガ、ゴッホら印象派の画家たちに深い影響を与え、「線」と「面」で感情を表現する日本美術の特質を知らしめた存在となりました。クルトが紹介した歌麿を中心に「ジャポネスクブーム」が発生したといってもよいだろう。

歌麿の描く女性像は、単なる美の表現を超え、感情や生き様、季節感、日常の詩情を内包した、日本美術史に残る傑作群です。

7月のオープン予定日

7月の営業予定日は

4(金)、5(土)、6(日)、9日(水)、
11(金)、12(土)、13(日)、
18(金)、19(土)、20(日)、
25(金)、26(土)、27(日)、

となっております。

皆さまのお越しをお待ちしております。

【大河ドラマ~べらぼう】第24話

ついに出た!蔦重の女房?
蔦重が日本橋進出のキーマン“てい”に
初対面でいきなりプロポーズ!

蔦屋重三郎の妻と子がそろっている唯一の挿絵と思われる。右ページで手を合わせているのが妻。恵比寿講で商売繁盛を願う蔦屋一家。
出所:浮世絵カフェ蔵書「絵本吾妻からげ」

清純派イメージの強い福原遥が演じる誰袖花魁のハニートラップぶりが話題になっている大河ドラマ「べらぼう」。24話では、誰袖の色仕掛けで抜け荷の証拠つかみ、松前藩から蝦夷地を召し上げるための上地作戦が大きく前進しました。当初は松前藩当主の弟・廣年をターゲットにしていましたが、臆病な廣年には抜け荷を行うほどの度胸がなく、作戦は行き詰ったかのように見えました。しかし、本命の松前藩主・道廣が吉原に登場。大文字屋市兵衛と誰袖の前で琥珀の直接取引の話を持ち出し、松前家と吉原でひと儲けしようと提案します。この過程において、えなりかずき演じる道廣が家臣を標的に火縄銃を撃つシーンなど、道廣の残虐ぶりが何度も描かれましたが、その際の不気味な笑みにドン引きした視聴者も多かったでしょう。史実においても道廣の遊興ぶりが問題視されていたようですが、今後、べらぼうでどのように描かれるのか、誰袖花魁の今後とともに楽しみですね。一方、蔦重は日本橋進出作戦が停滞するなか、日本橋進出のためのキーマンで将来の妻・ていと出会います。

蔦重の日本橋進出は、借金による経営難で売りに出されていた本屋「丸屋」をターゲットに進められました。この丸屋の女主人が、「てい」です。ていは吉原者の蔦重を受け入れず、売却を拒否していたため、蔦重を支援する親父様たちは吉原への借金棒引きを条件に茶問屋・亀屋を引き込み、表向きは亀屋に丸屋を買い取らせ、店舗は蔦重に貸すという形での日本橋進出を目論見ました。しかし、証文を交わす前に思惑が悟られ、ていの吉原に対する印象はますます悪化。そんななか、蔦重は本物のていを一目見ようと、ていが漢籍の手ほどきを受けているという寺を訪れます。そこで、和尚とていのやりとりのなかから、ていが本を慈しむ姿を覗き見て、てい攻略の糸口を見つけます。蔦重の結論は丸屋と耕書堂の共同経営で、ていの気持ちを汲み取るため、「丸屋耕書堂」として暖簾を残すことを提案しました。それでも、ていは蔦重をかたくなに拒否。そこで、蔦重はなんと「じゃあ、俺と一緒になるというのはどうです。(吉原の者は見附内に家屋敷を買えないという決まりにより)店、屋敷の売り買いは難がありますが、縁組は禁じられていねえ。それならお達しには背かねえし、店を一緒にやるのは当り前」と、プロポーズします。それでも、ていは「どんなに落ちぶれようと、吉原者と一緒になるなどありえません」と拒否します。そんななか、江戸では浅間山の異変が噂され、大地の微妙な揺れが不吉な兆候を見せはじめています。この揺れと同様、ていの女心がどのように揺れ動くのか、今後が楽しみです。


7月の新作展示 【当世風俗通】(とうせいふうぞくつう)

【当世風俗通】(とうせいふうぞくつう)
発行:安永2年(1773)7月
作者:金錦佐恵流(キンキンサエル、朋誠堂喜三二・平沢常富)作。
画:恋川春町(酒上不埒サケノウエノフラチ・杜選大和尚コジツケダイオショウ)画。
跋:石野土臺
版元;著々羅舘蔵板(奥付)池之端仲町の長谷川新兵衛と推測
※当社所蔵は大正期の複製木版画

当世風俗通(とうせいふうぞくつう)は、江戸時代中期の安永2年(1773)に刊行された風俗案内書である。著者は金錦佐恵流(きんきんさえりゅう)こと朋誠堂喜三二(ほうせいどう きさんじ)、挿絵は黄表紙の名手として知られる恋川春町(こいかわ はるまち)、が手がけました。全一巻で構成され、洒落本に分類されるが、その内容は単なる滑稽な読み物を超え、当時の町人社会における最新のファッション・風俗・通人文化を視覚的かつ解説的に伝える図入りの生活百科となっています。
本書は、いわば江戸のファッション雑誌である。通人(つうじん)――つまり洒落や流行に通じた粋な男たちに向けて、当時の「今風」の立ち居振る舞い、言葉遣い、装い、髪型、小道具の使い方までを、軽妙な筆致と精緻な挿絵で紹介しました。まさに町人文化の情報メディア的存在であり、読者は本書を“参考書”として自らの身なりや振舞いを整え、遊里や芝居町などの社交場で通人ぶりを発揮したのです。
中でも注目されるのが、本書末尾に掲載された「時勢髪八体之図(じせいがみ はったいのず)」です。この図は、江戸で流行した男性の本多髷(ほんだまげ)の八つの変種を描いたもので、それぞれの結い方や印象の違いが視覚的にわかる構成となっています。これらは現代で言えば「メンズヘアカタログ」のような位置づけであり、通人たちが自分のキャラクターや行き先に応じて髷のスタイルを選び、髪結い職人に注文するための資料としても利用されたようです。

■ 時勢髪八体之図:髷の比較表

髷名特徴・形状印象・用途
古来之本多最も基本的な形。高さ・幅ともに標準的。落ち着いた伝統派。
丸髷本多髷の尻を丸くふくらませた造形。柔らかく洒落た印象。
五分下げ本多髷を低めに結い、穏やかさと控えめを演出。優男風の装いに合う。
大阪本多高さが強調され、やや大ぶりな造形。派手好みな印象。
兄様本多髷を長めに伸ばし、堂々とした造形。年長者や風格ある人物向き。
疫病本多簡略な結い方で手間を省いた形。実用重視、質素な印象。
金魚本多(舟底)下ぶくれ形状で金魚の尾のような印象。個性的で柔らかな風情。
団七本多(伝九郎鬢)鬢の張り出しが強く、芝居風の華やかさ。芸人・遊里通いに人気。

【通人マニュアル】

髪型だけでなく、本書では衣服の合わせ方、小物づかい、化粧、話し方、歩き方に至るまで、あらゆる通人気質の実例が図解とともに紹介される。たとえば、通人は着物を「少々くずし気味に」着ることが粋とされ、帯の締め方や煙草入れの下げ方にも独特の流儀がありました。

さらに、煙管(きせる)の金具の意匠や根付(ねつけ)・印籠(いんろう)の使い方、さらには扇子をどう持つかといった細部にいたるまで、通人の「心得」が語られる。これらの情報は、文字だけでなく精緻な挿絵によって視覚的に把握できるよう構成されており、読者にとってはまさに実用的な風俗指南書でした。現在のファッション誌のようなやくわりです。登場人物たちはいずれも「通人」「町娘」「遊女」など、典型的な江戸町人階層のスタイルを演じており、背景には芝居町や吉原の風景も見られました。とりわけ、遊里での振舞いややりとりは、洒落と色気、機知に富み、読者の実生活における「演出」に大いに役立ったと考えられます。

『当世風俗通』は、江戸の町人文化が到達した洗練と洒落の粋を今に伝える、極めて貴重な一次資料でした。その内容は、単なる娯楽書ではなく、当時の都市生活者の審美眼と社交技術を反映した“江戸版スタイル・マニュアル”であり、風俗史・服飾史・出版文化史の観点からも極めて重要な文献です。

 【免責事項】

1.当社が運営するWEBページおよびSNSのコンテンツを利用して行う一切の行為に関する著作権法上その他の問題については、利用される方においてその責任を負うものとし、弊社は何ら一切責任を負いません。著作権・人格権・プライバシー・その他の人権等風評被害を含めてご配慮のうえご利用ください。利用者が第三者との間に問題が生じた場合は、利用される方がその責任を負うこととなります。重ねて申し上げますが、弊社では一切責任を負いません。

2.当Webサイトに掲載する情報については十分な注意を払っていますが、その内容の完全性、正確性、有用性及び安全性等について、いかなる保証も行うものではありません。当Webサイトを利用したこと、あるいは利用できなかったこと、当Webサイトに掲載されている情報に基づいて利用者が下した判断および起こした行動等により、どのような結果が発生した場合においても、弊社はいかなる責任も負いません。

3.当Webサイトは、システムメンテナンスや弊社の都合により予告なくコンテンツを変更する場合があります。また閲覧できない場合や、アドレスを変更する場合があります。変更および閲覧できないことにより、利用者に不都合や損害が発生しても弊社はいかなる責任も対応義務も負いません。

4. お問い合わせ先

コンテンツ、利用、広告、イベントに関するお問い合わせ先。

株式会社バリューアップHD
東京都台東区花川戸2-16-8Tel:050-5536-9037
Fax:050-5369-3147

東都浅草金龍山随神門之景図(Zuijinmon Gate of Sensoji Temple at Asakusa)

画工: 一勇斎国芳 芳桐印
版元名: 丸巴
商店(難波屋) 
テーマ: 役者絵 名所絵
出演者: 岩井粂三郎 市川団十郎 中村歌右衛門 尾上梅幸 市村羽左衛門

「随身門」は現在の二天門のこと。国芳の絵では難波屋の前で有名役者が描かれている。歌麿の当時三美人に描かれた難波屋おきたは看板娘だった。実際には難波屋は移転もしているが当時の場所を確認できる貴重な絵である。

「随身門」朱も鮮やかな浅草寺の東門・国の重要文化財

  • 現在の二天門は本堂東に建つ朱塗りの門で、今の門は慶安2年(1649)に浅草寺の東門として創建された。江戸時代は「随身門」といわれ、豊岩間戸命、櫛岩間戸命を守護神像(随身像)として左右に祀っていた。
     明治17年(1884)、神仏分離によって「随身門」に安置されていた随身像は、浅草神社に遷座されて、鎌倉の鶴岡八幡宮から広目天と持国天の像が奉納された。このとき名称を随身門から「二天門」と改めた。

『絵本吾妻抉(えほん あずま からげ)』

貴重な蔦重の家族が描かれた狂歌絵本

2巻目の蔦屋一家の恵比寿講の様子

絵本吾妻抉は蔦屋重三郎が天明六年(1786年)に刊行した狂歌入りの絵本です。浮世絵カフェ蔦重の蔵書は寛政9年(1797年)に再販されたものです。全3冊から成る構成となっています。画は北尾重政、序は唐衣橘洲、版元は蔦屋重三郎です。

この作品は、江戸市中の風俗・人物・商業・信仰・遊興・信仰・風刺的要素を織り交ぜながら、狂歌と挿絵で江戸の暮らしを鮮やかに描き出しています。

『絵本吾妻抉』三冊の概要

📕【上巻】

主題:江戸の市井・商業・庶民生活のユーモラスな観察

  • 商家のやりとり、髪結い、風呂屋、魚屋、野菜売りなど、江戸庶民の仕事と日常が中心。
  • 各場面に狂歌が添えられており、風刺・皮肉・洒落を効かせた表現が多い。
  • 特に、町人社会の活気や、言葉遊びの巧妙さが見どころ。
  • 北尾重政の軽快な筆致が庶民の生活を活き活きと再現。

📘【中巻】

主題:宗教行事・年中行事・商家の日常と信仰/蔦屋重三郎の自宅も登場!

  • 恵比寿講、節分、初午、地蔵参りなど、江戸で行われていた年中行事や民間信仰が主題。
  • この巻の中には、蔦屋重三郎とされる人物が恵比寿講に参加している図があります。恵比寿講(えびすこう)は、七福神の一柱である恵比寿様を祀り、商売繁盛や五穀豊穣、家内安全などを願う行事です。地域によって開催される時期や内容は異なりますが、一般的には旧暦10月20日と1月20日。
  • 信仰と商売、家庭生活がいかに結びついていたかを、絵と狂歌で巧みに描写。
  • 信仰を風刺した狂歌も見られ、批判精神とユーモアが同居する巻。

📙【下巻】

主題:江戸の遊興・吉原・風俗・色事に関わる世界

  • 吉原遊郭、芸者、幇間(太鼓持ち)、男色の描写も含まれ、江戸の「夜の顔」に迫る。
  • 遊女と客のやりとり、妓楼の仕組み、町角での恋のさや当てなどが挿絵と狂歌で展開。
  • 遊里文化を単なる艶笑ではなく、都市文化の一断面として描写している点に深みがある。
  • 狂歌も遊里用語や隠語を多用し、読み手に一定の教養や機知を求める構成。

補足:狂歌と絵の融合

  • 各巻とも、1場面につき1首または数首の狂歌が付されており、挿絵の読み方を狂歌が導く形式
  • 狂歌作者は明記されていないが、当時の有名狂歌師(大田南畝派)との関わりが指摘されています。唐衣橘州と太田南畝は狂歌の二大巨頭でしたが、仲たがいしていた時期がありました。蔦屋重三郎が仲裁した可能性を感じる作品です。
  • 北尾重政の軽妙で洒脱な筆致と、蔦屋重三郎の編集構想が見事に融合した作品。
  • 一見ユーモラスだが、社会批評性や都市文化の複雑さを含んだ知的絵本として評価されています。

中巻の代表的挿絵:「恵比寿講で祈願する蔦屋一家」

描写の概要

  • 恵比寿像の前で蔦屋重三郎一家が祈願をしている場面です。
  • 正面で祈る重三郎、その横でしっかりと手を合わせる妻、側には嫡男らしき人物も描かれます。
  • 背景には恵比寿像、祈祷所の屋根裏や注連飾りなどが繊細に描かれ、宗教儀式の雰囲気が漂います。

解説・読み取りポイント

1. 蔦屋重三郎の私人像

  • 重商としての顔の裏にある、「家庭の父親・夫」としての姿を描写。
  • 出版界の中心人物でありながら、家族とともに年中行事に参加する庶民的な一面を見せています。
  • これにより、彼が古典芸術のパトロンではなく、人間味ある実在の人物として記憶されていたことがうかがえます。

2. 絵師・重政の画技

  • 北尾派の巨匠として浮世絵師としての技巧が細部にまで注がれています。
  • 恵比寿像の表情や木目、人物の衣装、陰影や仕草の取り方に、版画ながら豊かな表現力を感じます。
  • 重政は愛弟子・歌麿や北斎にも影響を与えたとされ、実務的指導者としても評価が高いです。

文化的意味

  • この図によって、出版活動・狂歌・家族・年中行事が一冊の絵本でつながっている点が興味深いです。
  • 蔦屋重三郎が商業的には苦境に立たされた後でも、家庭や社会においてしっかりと地に足をつけていた人物として描かれることで、彼の“好人物”像が後世に伝わっています。
  • また、狂歌絵本というジャンルの中で、商人・家族・行事・文化活動の位置づけを可視化した希少な例でもあります。
  • 本書は稀書で天明六年の初版は1冊のみ。寛政9年版も5冊程度しか現存が確認できていません。当店の蔵書は痛みはありますが、中本で蔦屋重三郎の家族が描かれており3冊全揃っています。

蔦重の絵本狂歌の名作に会いに来てください。

【大河ドラマべらぼう】第23話

ナンバーワンの版元を目指し、日本橋進出を決断
「青楼名君自筆集」は日本橋進出の狼煙

【青楼名君自筆集】
北尾政演画 版元蔦屋重三郎
出所 国書データベース

販路拡大のために日本橋か、世話になった吉原の親父様たちへの義理を通して吉原か―。
大河ドラマ「べらぼう」の23話では、愛着のある吉原を離れ、日本橋進出を決断するまでの蔦重の葛藤が描かれました。蔦重が日本橋へ進出したのは天明3年(1783年)のこと。
この頃の耕書堂は、狂歌ブームを背景に狂歌の指南書「浜のきさご」などが飛ぶように売れ、絶好調でした。そして、蔦重は「江戸一の目利き」と呼ばれ、耕書堂は江戸でも大注目の版元に。そんな折、書物問屋の須原屋市兵衛が、蔦重に日本橋進出をすすめます。そしてちょうどその頃、蔦重の手がける錦絵「青楼名君自筆集」が西村屋の「雛形若菜」より低い評価を受け、蔦重は納得がいかず苦悩していました。過少評価された理由は、江戸の中心地から離れた吉原に立地する耕書堂の流通力の弱さでした。西村屋は交通の要衝でもあり、人々の往来で賑わう日本橋にあるため、江戸以外のお客から大口の買い付けがあり、全国各地へと商品が広がっていました。一方、吉原の耕書堂は江戸以外の地方では無名であり、信用力がなく、地方のお客からは相手にされません。そこで、蔦重は日本橋進
出を決断します。しかし、これに怒ったのが蔦重の育ての親・駿河屋の親父様です。

親父様は「てめえの名が上がったらおさらばか。誰のおかげでここまでになったと思ってんだ!」と怒鳴り、殴り、階段から蹴り飛ばします。しかし、階段から転げ落ちた蔦重もひるみません。
「江戸の外れの吉原者が江戸文化の中心地に店を構えて成功すれば、吉原を蔑む人々の見る目が変わる。自分が成り上がれば、生まれや育ちなんか人の値打ちとは関係ないという証になる」と説得。
流血しながら階段を上り「それがこの町に育ててもらった拾い子の一等でけえ恩返しになりゃあしませんか」と親父様に迫ります。個人的には、23話の中ではこのシーンに最も引きこまれました。このほか、見どころといえば小悪魔・誰袖のエスカレートしていくハニートラップぶりも圧巻でした。
抜け荷の証拠がつかめないのなら抜け荷をさせればいいとばかりに、松前藩当主の弟・廣年に色気や涙といった女の武器を駆使して迫っていきました。これが、どんな結末を生むのか今後の大きな見どころになりそうです。また、23話では宴席のシーンで若元春、遠藤、錦木の現役幕内力士3人が関取役で出演しましたね。
出演時間は短かったですが、驚きのキャスティングでした。


今後もキャスティグでサプライズが用意されているようなので、こちらもお見逃しなく!

『碁太平記白石噺(ごたいへいき しらいしばなし)』蔦重の思慮深さとセルフプロデュース力が桁違い!

【新作品展示案内】
白石噺敵討の圖 一勇斎国芳 画
新吉原の段 碁太平記白石噺(当時の台本)

『碁太平記白石噺』は、江戸時代に実際に起きた仇討ち事件をもとに dramatized(脚色)された浄瑠璃・歌舞伎の名作で、近松半二、並木五瓶、竹田小出雲、烏亭焉馬などの合作で全11段で構成されています。安永6年(1777年)に大坂竹本座にて初演されました。百姓・与茂作の娘である姉妹、宮城野と信夫は、父を旗本・志賀団七に殺され、仇討ちを誓う。姉は吉原の遊女となって身を立て、妹は武芸を修めて再会。幕府の許可を得て、白石川でついに父の仇を討つ。

作中屈指の名場面は「新吉原の段」です。この段は戯作者・烏亭焉馬によって書かれ、姉妹の再会と仇討ちの決意を情緒豊かに描き出します。蔦重は烏亭焉馬と親しかったと考えられます。

「新吉原の段」は、姉妹の再会と決意が描かれる感動的な場面です。ここでは姉・宮城野が吉原の大福屋で傾城として働く姿が描かれ、遊女の世界と仇討ちという武士道の価値観が交差するのです。またこの段には「本重(ほんじゅう)」という貸本屋が登場し、物語に登場する絵入り草子や読本を売り込むシーンがみられます。この本重は、実在の出版人・蔦屋重三郎をモデルにした人物で、彼自身もこの演目の出版・宣伝に深く関与していました。蔦屋は浮世絵師や役者と連携し、本作を芝居だけでなく、絵入り草子や錦絵としても大衆に広めた立役者だったのです。蔦重は浄瑠璃や歌舞伎の人気を利用して出版物に売上をつなげたビジネスモデルを作った好例といえます。芸術・興行・マーケティング・そして自社ブランディングへと多面的に思慮深く蔦重が出版業を考えていたことがわかる興味深い作品でした。

 当店では、一勇斎国芳が嘉永六年に作成した見事な3枚つづりの仇討ちシーンと本作品の新吉原の段の台本を季節展示します。

 浮世絵カフェ蔦重では数か月単位で展示物を変更します。

Xでは変更する作品を一足先に数点ご案内していきたいと思います。ご期待ください!

大河ドラマ~べらぼう第22話


恋川春町と山東京伝が31字の「屁」で狂演
小悪魔!多賀袖が本領を発揮

大河ドラマ「べらぼう」では蔦重と狂歌師たちとの歓談のなかに、クスっと笑えるシーンが続出しますが、22話では恋川春町がやってくれました。個人的にはこれまでの全22話で一番笑えました。そもそも恋川春町の狂名がおもしろい。狂名とは狂歌師の作者としての号のこと。狂名にはユニークなネーミングが多く、なかでも恋川春町の「酒上不埒(さけのうえのふらち)」は私の一番のお気に入りです。そんな春町は前話の21話で行われた喜多川歌麿のお披露目会でも泥酔し、山東京伝に「自分の作品をパクった」と盗人呼ばわりして絡んだあげく、最後は筆を折って絶筆を宣言しました。そんな醜態を見せたことから引くに引けなくなり、蔦重の仕事の依頼も断り続けていましたが、歌麿と喜三二に励まされながら、画期的なアイデアを思いつきます。そして、自分の名前「恋」・「川」・「春」・「町」の4つの漢字を偏にし、「失」という漢字を旁にした不思議な漢字が書かれた一枚の紙をもって耕書堂にやってきます。漢字の意味は、「恋」に「失」で『未練』、「川」に「失」で『枯れる』、「春」に「失」で『はずす』、「町」に「失」で『不人気』とのこと。これを聞いた蔦重は吉原を題材とした「春町文字」を作ることを提案し、往来物の「※1小野篁歌字盡おののたかむら うたじづくし」の文字並びを参考にして、漢字遊びの青本「廓愚費字尽 さとのばかむら むだじづくし」を出版します。これにより一時のどん底状態から復活した春町ですが、22話の終盤でまたしてもやってくれました。

※1「小野篁歌字盡」とは?

往来物の超ベストセラーであり寺子屋の崩し字入門書です。漢字のグループを和歌で覚える仕掛けが巧妙で“歌×字”という学習スタイルが当時の庶民に受け入れられました。ちなみに平安時代の小野篁は公卿でしたが、この著者ではありません。漢詩・和歌の達人だったので権威付けで本書の名前に小野篁が使用されたようです。書浮世絵カフェ蔦重では天明4年刊行の本物「小野篁歌字盡」が展示中です。

今度は、蔦重が仕事仲間を集めて開いた忘年会にて、蔦重の兄・治郎兵衛が三味線を弾いて参加者の注目を集めるなか、ふんどし姿の春町が登場。そして「皆さまにはせめて年のしまいにお笑いいただきたく! よ~」と叫び、「プー」とオナラをしながら踊りだしました。さらに、オナラを出し尽くした後は「ぷーっ、ぷーっ」と声を出しながら踊る放屁芸を見せたことで、会場の笑いは最高潮に。まさに「酒上不埒」の名にふさわしい不埒な宴会芸に、爆笑したドラマ視聴者も多かったと思います。また、今回は蔦重を慕ってきた花魁・誰袖の小悪魔ぶりも印象的でした。誰袖は前話から、蝦夷地を松前藩から召し上げる上地を行うため、松前藩による密貿易「抜け荷」の証拠を見つけようと吉原に潜入する老中・田沼意次の嫡男、意知に接近。大胆にも自らスパイとなって松前藩の抜け荷の証拠を見つけたら、代わりに自分を見請けして欲しいと迫ります。そして、吉原にやってきた松前藩当主の弟・廣年に接触し、密貿易の証を探り出そうとします。これは、まさに江戸時代版ハニートラップ。蔦重の活躍だけでなく、誰袖からも目が離せなくなってきました。

大河ドラマ~べらぼう第21話

画像 吉原傾城 新美人合自筆鏡
出典 ColBase 

怪演!えなりかずきさん
2代大文字市兵衛を伊藤淳史さんがキャラ変えで名演技!

 えなりさんが見事に豪胆かつ傲慢な松前藩主役を演じてました。怖かった。伊藤淳史さんは初代の大文字文楼が亡くなって養子として2代目大文字市兵衛を継いで再度出演してましたが、しなをつくって初代とは対照的な女性的なキャラだったので見た目は伊藤淳史でもすぐに見分けがつきますね。台風の目の小悪魔「誰袖」も2代目大文字屋の花魁として徐々に本領を発揮していきそうで怖い。

さて、大河ドラマ「べらぼう」で順調に成り上がってきた蔦重ですが、21話では大きな挫折を味わいました。前話で西村屋の「雛形若菜初模様」をパクって出版した「雛形若葉初模様」が、全然売れないのです。理由は、「指図」。指図とは、摺師が作品の摺りを行う際に絵師や版元から受ける指示のことです。色の配置や濃さ、摺る位置や紙のサイズなど、さまざまなことを指図しますが、これにより版画の最終的な完成度がかなり変わるのです。要するに、モノマネ上手な歌麿のおかげで元祖に負けない下絵は描けても、蔦重の指図の力量不足により発色が悪く、結果的に西村屋の錦絵に及ばなかったというわけです。これは、現代社会でも同じですよね。例えば、生成AI。生成AIでクリエイティブなものを生み出すことはできますが、生成AIに何を作ってほしいのか、具体的に、的確に指示を出せるかどうかで、完成品の質が変わります。

 この具体的で的確な指示を出せるようになるためには「経験」が重要ですが、蔦重もその「経験」が足りなかったということです。私も似たような経験を最近しました。浮世絵カフェ蔦重では、新たな挑戦として自らが版元になって、蔦屋重三郎の名作を復活させることに挑戦しています。木版画の制作工程では版元と彫師・摺師さんたちへ指示をしなくてはいけない場面に遭遇しています。復刻木版画の制作には工程・技術・素材・時代背景など総合的な知識と経験が必要であり、さらに職人さんたちとの良好なコミニケーションが最重要だと痛感しました。版元がたしかな指示ができないと意図した作品は出来上がりません。今回のドラマでは、経験と知識の両方が蔦重には足りなかったと思われます。西村屋のいうとおり多色刷り錦絵は一朝一夕の生半可知識ではできません!

 

また21話では、落ち込む蔦重にさらに追い打ちをかけるような出来事が起こります。

その要因を作ったのが私の推し、山東京伝(北尾政演)でした。政演が山東京伝という名で、鶴屋から青本を出版したのです。蔦重はそれまで、絵師としての北尾政演と深く交流していましたが、政演の戯作者としての才能を見出すことはできませんでした。その才能を、よりによって蔦重と因縁深いライバル店の鶴屋が見出したのです。そのおかげで、山東京伝は大きく飛躍していきました。自分の力量不足を痛感し、自信を失う蔦重でしたが、大田南畝が「経験不足が蔦重のいいところ」と励まします。「だからこそ、ずっとやってる奴には出せねえものを出せんじゃねえか」という言葉で、蔦重は自分の強みが企画力にあることを再認識します。

 近い将来に蔦重は今回の挫折を乗り越えて山東京伝とは黄金コンビとなって「吉原傾城 新美人合自筆鏡」を完成させます。このエピソードはもうちょっと先の話になりそうですね。

そこから、続々とアイデアを口にするのですが、山東京伝と黄表紙、洒落本でヒット作を連発します。それは今後のドラマの楽しみですね。

また、今回の見どころとしては役者さん達の演技が印象的でした。松前藩主・松前道廣を演じたえなりかずきさんの怪演、花魁の誰袖を演じる福原遥さんの妖艶な演技、前話で亡くなった「かぼちゃの旦那」こと大文字屋の二代目として再登板となった伊藤淳史さんが演じた、前キャラクターとのギャップの激しさなど、見どころが満載でした。今後の展開が楽しみです!