「通(つう)と穿ち(うがち)」を知り尽くした究極の通人&ハイパークリエイター山東京伝

大河ドラマもいよいよ中盤となって、蔦重の事業は拡大していくようです。その中でもっとも大きく貢献するのが山東京伝ではないでしょうか。
 現時点で歌麿の知名度が圧倒的ですが、山東京伝はクリエイターとしての総合力では歌麿をはるかに凌駕していたように感じています。詠えて、描けて、文才もあるうえに、イケメンで、花魁を二人身請けするなど通人の極みを具現化した江戸っ子だったように思えます。
たまたま私の蔵書に多く山東京伝(北尾政演)作品が多かったことも影響しているかもしれません。山東京伝推しはあくまで個人的な思いもありますが、客観的に評価が高い傑作も多数あります。黄表紙の傑作「江戸生艶気樺焼」洒落本の傑作「通言総籬」と頂点の誉れ高い「傾城買48手」は山東京伝の作品です。これは傾城通いで吉原の風俗慣習と女郎のとの手練手管を知り尽くした京伝でないと描けない世界観をもった作品です。究極の通と穿ちを理解していた。通人の極みは山東京伝といっても過言ではないでしょう。
その絶頂期である1791年の筆禍事件で幕府からは世俗を乱したとして洒落本三部作の「仕掛文庫」などが絶版となります。手鎖50日となってからは、洒落本から距離をおいて教訓本へ趣向を変えてしまい、京伝節の穿ち(うがち)の鋭さが衰えたような評価をする専門家もいるようです。
しかしながら、1793年の黄表紙「堪忍袋緒〆善玉」で山東京伝は復活します。師匠の北尾政信が画を描き、作は山東京伝のチーム北尾を再結成。善玉悪玉と主人公の心の葛藤から教訓を見事に描きつつ、さらに悪玉踊りでブームをつくるなど江戸町民への影響力は衰えることはありませんでした。

序盤の耕書堂を大いに支えた戯作者は朋誠堂喜三二でしたが中盤はきっと山東京伝が活躍するでしょう。
イケメンのハイパークリエイターである山東京伝は、かなりドラマティックな人生だったように見受けられます。べらぼうではどのように扱われるのか楽しみです。

 上記に記載されている山東京伝の江戸期のオリジナル作品は浮世絵カフェ蔦重で展示中です。是非、本物の蔦屋重三郎と山東京伝の作品に会いに来てください。