べらぼう豆知識

第17話の「往来物」とは?
蔦重が往来物を売りたがったそのワケ?

大河ドラマ「べらぼう」第17話で中盤へ話が展開しています。

蔦重は市中の版元の抵抗もあって細見を吉原の外では販売が難しくなっていました。そこで目を付けたのが「往来物」と呼ばれる学習教材を地方に販売する事でした。

往来物は近代小学校が設立される以前の900年間で日本の学びを支えた寺子屋で使用した教材です。天下泰平となった江戸時代は教育が大きく出世に影響しました。

販路開拓と購入者を同時に獲得する手段として実力者に編集協力を依頼しつつ、本ができあがると、その編集に関わった実力者自身が自慢したいがために自ら購入することを見通していました。蔦重の策士としての一面が発揮されたシーンです。おそらく実際の蔦重は、派手な一面より堅実かつ緻密な計画を立てた経営者だったことが彼の作品から想像ができます。

また、蔦重が往来物を扱った理由としては、毎年安定した売り上げが見込めたからと推測します。寛政年間には全国で1万ほどの寺子屋があったといわれています。寺子屋には毎年新入生が入ります。江戸時代は6歳から17歳くらいまで手習いとして寺子屋などで武士だけでなく商人、農家も机を並べて学んでいました。毎年、新入生が往来物を購入したり借りたりするのです。部数は少なくても安定的な売上になったのでしょう。1つの板で長い間売上が作れるので翌年の売上が予想できたのです。しかも都市部に限らず地方も含めて販売できました。  往来物には手紙の往来の文例集が始まりといわれています。漢字の読み方や書き方、算術、地理、歴史など、幅広い内容が網羅されました。有名な作者には高井蘭山や十辺舎一九などもいました。代表的な「庭訓往来」では、武家社会の礼法や書簡の作法などをまとめたもので、江戸時代には広く普及しました。また吉田光由「塵劫記」に代表される和算は世界的に見ても高度な算術が記載されており、算盤をつかった効率的な数学体系が地方まで浸透していました。大河ドラマべらぼうのなかでは耕作往来(農業向け)や大栄商売往来(商人向け)が紹介されていました。浮世絵カフェでは蔦屋重三郎が作成した代表的な往来物として『利得算法記』『女今川艶紅梅』を江戸期オリジナル作品を展示中です。

利得計算法記  耕書堂版 1788年 天明8年 斎藤貴林[撰]
女今川艶紅梅(おんないまがわつやこうばい)天明1年 耕書堂板

参考図書 国書データベース