蔦重の世界に浸り浮世絵を眺めながら
こだわりコーヒーが飲めるカフェ
- 浅草 吉原 浮世絵カフェ 蔦重 -




大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の主人公である蔦屋重三郎は新吉原大門前の五十間通り左側に店を構えていました。
浮世絵カフェは台東区千束4丁目11番地と蔦屋重三郎が耕書堂のほぼ発祥地に所在します。正確な場所は不明ながら「吉原細見」の地図を見る限り、浮世絵カフェのある場所が耕書堂のあった場所の近くだと推測されます。
浮世絵カフェでは耕書堂が扱っていた書籍や浮世絵を展示販売します。蔦重と絵師・戯作者の北尾重政・恋川春町・朋誠堂喜三二・山東京伝・歌麿・写楽・北斎たちがつくった江戸時代の「オリジナル」和書や、浮世絵を常時30~作品ほど展示します。あわせて現代摺師彫師の作品を展示販売します。江戸時代から変わらない伝統技術を継承している本物の手摺木版画を見て、触って購入できます。
入館無料です。浮世絵カフェは名前そのままで、浮世絵を愉しみながらおいしいカフェタイムを過ごしていただく店舗です。ハンドドリップ珈琲や自然栽培のお茶とあわせて本物の「手摺木版画」の世界を体験してください。
ニュース
浮世絵今昔~コラム
- 【大河ドラマ~べらぼう】第28話 2025年8月1日被害者に石が飛び、加害者が英雄に。真実を曲げる世論に対し、蔦重と意次はどのように立ち向かうのか。 画像 田沼意知がついに死去―。大河ドラマ「べらぼう」28話では、冒頭から前話の続きとなる刀傷事件が描かれ、それから数日後、看病する実父・意次に看取られながら、意知は帰らぬ人となりました。意知を襲った佐野政言も切腹が命じられ、田沼時代の終焉を予感させる大事件となりました。後日、蔦重たちが市中を進む意知の葬列を見守っていると、「天罰だ!」と叫びながら石を投げる大工姿の男が現れます。その叫びに同調した群衆からも、田沼政治に対する不満の声とともに棺や駕籠に向けて石が投げつけられます。そんななか、誰袖が棺を守ろうと駆け出しますが、容赦なく石が飛び交い、誰袖の額にも石が直撃。救出した蔦重に向かい、「仇を討っておくなんし!」と訴える姿が描かれました。田沼政治に対する不満を強める原因となった天明の大飢饉は、江戸三大飢饉の一つにも数えられ、全国で90万人以上の餓死者を出したと言われています。その怨嗟の声が田沼親子に向かったわけですが、米の不作の原因となる天候不良も浅間山の噴火も、田沼親子の責任ではありません。また、この時期は前話で蔦重が意知に提案したように、幕府が大坂で集めた米を江戸に送り、安値で払い下げるなどの政策が実り、米価が一時的に安定していました。これは田沼政治の功績と評価できそうですが、民衆は逆に「佐野様が田沼の息子を斬ったから、米の値が下がった」と信じ、「佐野世直大明神」として意知を殺した佐野政言を英雄としてまつってしまいます。これを見た田沼びいきの蔦重は「斬られた方が石投げられて、斬った方が拝まれるってのは…」と思い悩みます。そして、誰袖を励ますためにも仇討の方法を考えますが、政言が切腹した今、仇討の相手がいません。 そこで蔦重が考えたのが、意知の死をもとに政言を悪役として描いた黄表紙です。しかし、相談した書物問屋の須原屋市兵衛からは「ご公儀のことは本のネタにしちゃあならねえ。間山が火を噴くのも、米の値段が下がらねえのも田沼様のせい。佐野は天に代わって田沼様を成敗した。世の中はそういう筋書きをたてたんだ」と反対されます。そして、飢えに苦しんだ人々の気持ちを変えることは簡単にできないことを悟ります。一方、誰袖が身請け先として囲われていた土山宗次郎の屋敷では、誰袖が白い着物に身を包み、一心不乱に藁を打つ呪詛を行っていました。そんな姿を見た蔦重は何もできず、彼女を救う妙案も浮かびません。そんな折、北尾政寅が蔦重のもとを訪ね、手拭合のデザインを見せます。その中の一つ、暖簾の隙間から男がのぞき込んでいるデザインを見て「こいつなら、できるかもしんねえ。こいつならもう一度あいつ(誰袖)を笑わせられるかもしんねえ」と笑みを浮かべます。これが蔦重にどんなヒントを与え、どんな秘策を思いついたのかは今後の楽しみです。一方、田沼意次も息子を死に追いやった刀傷事件の黒幕に一橋治済がいることに気づきます。そして、息子の無念を晴らすため、息子のやり残した仕事を引き継ぎ、完成させることで仇討とすることを決意。こちらの仇討もどうなるか、目が離せません。More
- 【大河ドラマ~べらぼう】第27話 2025年7月19日米価高騰が収まらず、田沼政権がまずます窮地に!そして田沼意知に刃が向けられ、花魁・誰袖は、蔦重は… 画像 万歳狂歌集(出典 浮世絵カフェ所蔵) 米価の高騰が止まらない―。大河ドラマ「べらぼう」27話での話です。前話では、田沼意知が江戸への自由な米の持込と販売を許可するため、株仲間制度の改案を献策。適正価格の米の流入により、投機目的で米を買い占めていた商人たちも米を放出せざるをえなくなるはずと、米穀売買勝手令を公布しました。しかし、逆に米商人以外の多くの商人が米を買いあさる結果となり、事態はさらに悪化。田沼政権はその責任を問われました。現在、令和の米騒動は備蓄米の放出により落ち着きを取り戻しつつあるように見えますが、この先の不安は消えていません。今後、日本の米政策をどのようにしていくべきか、ドラマで描かれた内容も大きな参考になりそうです。一方、田沼意知の身請けを待ち望んでいた誰袖も、米騒動により身請け話が遅々と進まず、心の晴れない日々を過ごしていました。意知は「米の値が下がるまでは遊興を控えなければならない」と、しばらく吉原通いを慎まなければならないというのです。多賀袖が詠った「わすれんとかねて祈りし紙入れの などさらさらに人の恋しき」は万歳狂歌集に掲載されるほどの名句です。その句に絆された意知は勘定組頭の土山宗次郎の名で、誰袖を身請けすることを決断。(史実では土山宗次郎が不法行為で得た収入で多賀袖を実際に身請けする)ドラマでは武家の女性の衣装に身をつつみ、幸せそうな誰袖が描かれていましたが、彼女の幸せに終止符を打つ、悲劇が迫っていました。 【佐野政言の刀傷事件】田沼意次は当時、10代将軍・家治の信任を背景に絶対的な権勢を誇っていましたが、一方で田沼家に恨みをもつ者も多くいました。その結果、佐野政言と田沼意知の刀傷事件が起こり、跡取り・意知を失った田沼意次の権勢も衰えていくことになります。佐野家は徳川家の譜代の家柄で、代々「番士」として江戸城の警護を担ってきた旗本です。このように由緒ある家ではあるものの、知行は低く、経済的に厳しい境遇にありました。そこで、佐野政言の父・政豊はべらぼう第6話にて、田沼家がかつては佐野家の家臣筋であったという経緯を示す家系図を持ち出し、立身出世を意次に願い出ていました。しかし、その願いは裏切られ続け、27話では政言が田沼家に不信感をもつさまざまな事件が描かれた末に、政言が意知に向かって抜刀するシーンまで描かれました。この結果、やがて田沼家は没落していきますが、誰袖はもちろん、史実では蔦重にも大きな不運をもたらすことになりますので、この先の展開が見逃せません。また、米政策についても、27話では蔦重が少し躍動します。蔦重は田沼家を訪れ「幕府が米を買い取り、そのままの価格で民に販売する」ことを提案します。しかし、意知は「武士が商売まがいのことを…」と難色を示します。これに対して、蔦重は「食うことに精一杯になれば、本はがまん、普請はあきらめよ、湯は10日に一度、床屋もいいとなる。そうやってどんどん金の巡りが悪くなる。その流れを断ち切る。これは商いではなく、政でございます」と説得します。この考えは、現在の消費税減税策につながる発想だと、個人的に思いました。消費税は消費マインドを冷やし、金の巡りが悪くなる。だから、この流れを断ち切るために消費税を減税すべきだ。現在、参議院選挙の争点との一つとして、このように主張する政党があります。消費マインドを活性化させると景気はよくなり、結果的に税収も増えていくのか―。大河ドラマなどを通して歴史を見直すと、そのヒントが見えてくるかもしれませんね。More
- 季節展示7月~『Die Momochidori des Kitagawa Utamaro』百千鳥狂歌合 2025年7月15日ヨーロッパで浮世絵ブームを作ったDr.ユリウス・クルト 7月からの新展示作品のご紹介です。 著名な歌麿・写楽の浮世絵研究家であるDr.ユリウス・クルトが制作した『Die Momochidori des Kitagawa Utamaro』です。国書データベースで調べたかぎりでは本書は国内に現存する蔵書は2冊と稀書です。そもそもベルリンで1912年に300部だけ限定で制作された学者・画家・パトロン向けの贈呈本で、明治時代はヨーロッパから日本国内へ書籍の流通はほぼなかったに等しいのです。本書は東京大学に1冊ありそうでしたが常時展示するのは当店しかないと思われます。 ユリウス・クルト(Dr. Julius Kurth, 1870–1949)は、20世紀初頭に活躍したドイツの美術史家・東洋美術研究者であり、西洋における浮世絵研究の草分け的存在です。彼は浮世絵を単なる日本の庶民芸術ではなく、繊細な美術表現として再評価し、特に喜多川歌麿と東洲斎写楽に焦点を当てました。クルトの研究は、ヨーロッパにおけるジャポニスムの流行を理論的・美術史的に裏づける役割を果たし、後世の日本美術受容にも大きな影響を与えました。 写楽に関するクルトの評価は非常に高く、彼はその作品に現れる大胆な造形、心理的洞察、そして強烈な個性を「日本美術の中でも特異な表現主義的才能」と見なしました。特に、役者の顔の表情や肉体の誇張、瞬間の演技を捉える表現力に注目し、これを「西洋の表現主義にも通じる視覚的革新」として紹介しました。 また、クルトは写楽の活動期間が極めて短かったことにも着目し、「短命ゆえに神秘性を帯びた天才」としてその芸術的孤高性を強調しました。当時、写楽の作品は日本国内ではあまり評価されておらず、その価値を最初に強く打ち出したのは、むしろクルトのような西洋の研究者たちでした。彼は、写楽の造形が「劇場性」と「内面性」の両面を併せ持ち、演劇的表現の核心を鋭く捉えている点において、浮世絵史上きわめて異例な存在であるとしました。 写楽を通じてクルトは、浮世絵が単なる娯楽の印刷物ではなく、時に心理の深層に迫る芸術性を持ちうることを証明しようとしたのです。その視点は西洋における日本美術の芸術的地位を高めるうえで大きな役割を果たしました。クルトの研究は、現在でも写楽論や浮世絵研究の原点として再評価されています。一方ではクルトの写楽評価は過大であるという批判も存在していることは知っておくべきでしょう。 【クルトの百千鳥狂歌合】 『Die Momochidori des Kitagawa Utamaro』(百千鳥)は、ドイツの美術史家ユリウス・クルト(Julius Kurth)が1912年に刊行した、喜多川歌麿の作品『百千鳥狂歌合』を西洋に紹介するために編んだ美術書です。本書は限定300部で刊行され、各見開きに歌麿の木版画を銅版画技術で再現した画と、対応する狂歌のドイツ語訳および解説が付されるという、当時としては極めて高度な美術出版の一つでした。 原版である『百千鳥狂歌合』は、天明6年(1786年)に蔦屋重三郎によって出版された豪華摺物で、さまざまな鳥とそれにまつわる狂歌を組み合わせた形式をとります。クルトはこの作品を単なる装飾的な絵本ではなく、絵と詩が相互に響き合う「詩画融合」の芸術作品として評価しました。彼はとくに、歌麿が鳥の種類や動き、羽毛の質感までを極めて繊細に描き分けている点に注目し、さらにきめ出し、空摺り、雲母摺などの技を使用して、それぞれの狂歌と視覚的表現が絶妙な調和を見せていると述べています。 クルトはまた、鳥たちが人間のように振る舞い、語り合うかのような構図を通して、自然と人間の感情が交錯する詩的世界が展開されていると解釈しました。そのため本書では、各図版に狂歌の内容を丁寧に翻訳・注釈し、絵と詩の関係性を西洋の読者にも理解できるように構成されています。 さらに、クルトはこの作品を通じて、歌麿が単なる美人画の絵師ではなく、詩的感性をもった芸術家であったことを強調しました。彼は本書の序文で、「歌麿の色彩と線は、まるで詩が形を持ったようである」と述べ、浮世絵が持つ抒情性や形式美を西洋美術の文脈で再評価する試みを行っています。 私は学者ではないのでクルトほど雄弁には語れませんが、歌麿ではなくプロデューサー蔦重の狂歌へのリテラシーが本作品の形式美を決定づけていると想定します。 なぜなら筆の綾丸と呼ばれた歌麿が蔦重レベルまで和歌や狂歌を理解していたとは思えないからです。蔦重はプロデュースだけでなく多数の自筆作品を残しているのです。また、百千鳥をつくったときの歌麿はまだ駆け出しの絵師でした。画才には恵まれていたことは疑いようがありませんが、和歌を解して狂歌と絵を立体的に表現するほどの知見があったとは想像しがたいです。蔦重は太田南畝、唐衣橘州につうじていただけでなく大文字屋市兵衛が主となる吉原連(狂歌同好会)にも所属して自ら蔦の唐丸として狂歌師として活躍しています。以前にも雛形若菜に始まり青楼美人姿鏡や新傾城美人合鏡など多数の多色摺錦絵をつくってきた経験からこそ、この豪華狂歌絵本をつくったのでしょう。制作の背景には天明狂歌ブームがあったからと推察できます。狂歌絵3部作以前にすでに出版されていた太田南畝の「狂歌画本」も参考にしたでしょう。初期の歌麿の絵については蔦重のプロデュースが想像以上に大きく影響されていたと思われます。 クルトの歌麿への高評価がジャポネスクブームに大いに役立ってきていると思います。初期の歌麿作品については蔦重の企画立案が作品に影響を与えていた可能性がたかいです。特に豪華な雲母摺り、きめ出しなどエンボス加工を使う使わないについての決定権は歌麿ではなく、予算をにぎっていた蔦重がハンドルしていたと考えるほうが自然です。クルトはガフラージュ的(立体的)な技術演出について感心していたようです。歌麿の世界観だけでなく、蔦重の指示と摺師たちの技について、関心を深めたほうが、より正しく作品を理解できたと思います。クルトの解説を見る限り絵師以外の作品関係者への記述が希薄であり、その結果として写楽単体の過大評価につながっている節も見受けられるのです。とくに写楽作品への蔦重の影響力はかなり大きく、写楽の作品は蔦重の作品でもあったことをクルトは理解しきれてなかったからこそ、写楽を過大評価してしまった。その結果として写楽ブームは落ち着いてしまったように感じています。これはあくまでも私個人の観察ですが。 いずれにせよ、『Die Momochidori』は、西洋で初めて本格的に詩と絵の融合をテーマにした浮世絵研究書であり、世界に浮世絵を広めた功労者です。本書は今日でも浮世絵学の基礎資料として高く評価されています。 【Die Momochidoriの概要】 ユリウス・クルトの著作『Die Momochidori des Kitagawa Utamaro』(1912年刊)は、日本で制作されたものではありません。この作品は、ドイツ(ベルリン)で印刷・出版された、いわば西洋人による浮世絵美術書の高級復刻本です。 📍制作地 出版地:ドイツ・ベルリン 出版社:Rex & Co. 限定部数:300部のみ 🎨 版画技術について 『Die Momochidori』に収録されている挿絵は、原本『百千鳥狂歌合』の木版画の模写・再現を目指していますが、印刷技法は当時の西洋で一般的だった技術が使われています: ❌ 本作品は木版画(日本式)ではありません。西洋の技術で木版画を模したという貴重な作品です。 日本の伝統的な浮世絵木版画技法(彫師・摺師による分業)ではありません。 ✅ おそらく石版画または多色銅版印刷(リトグラフ/クロモリトグラフ) クルト版は、当時のヨーロッパで発展していたリトグラフ(石版)または銅版印刷技術により、日本の木版表現を模倣的に再現しています。 色彩も手彩色またはクロモリトグラフィー(多色石版)によるものと推定されます。 🖼 原本との違い:浮世絵カフェ蔦重では、百千鳥狂歌合(明治摺)とクルト作品を2つをならべて対比して展示しています。違いを間近で鑑賞できます。 項目 原本(蔦屋重三郎版) クルト版 制作地 江戸・日本 ドイツ・ベルリン 技法 手彫り・手摺の木版画 石版画または銅版印刷(機械印刷) 色彩 雲母刷りや空摺など日本特有の高級摺技法 手彩色または印刷による色再現 目的 狂歌師たちへの贈答・限定頒布 美術書・学術的紹介用 ✅ まとめ クルトの『Die Momochidori』は、ドイツで出版された高級美術書であり、日本の木版原本を模倣した西洋式の印刷技術(主に石版画・銅版画)で制作されたものです。したがって、作品としての印刷様式は木版画ではなく、浮世絵風の美術再現という位置づけになります。 今から110年以前の1912年にベルリンで300部だけ制作された本作品は国内にほとんど現存しません。歌麿を、写楽を、浮世絵を世界に広めた稀書を浮世絵カフェ蔦重で展示中です。More
- 【大河ドラマ~べらぼう】第26話 2025年7月11日天明の飢饉により米価格の高騰に苦しむなか、蔦重の母・つよが登場!蔦重の言葉をヒントに、田沼意知が米騒動の打開策を発案 画像 金平子供遊 版元 耕書堂 画 歌麿門人 千代女出典 国書データーベース 米の値が上がると踏んで、大阪の堂島(商品取引所)でまず値が吊り上がり、それを見た米問屋、仲買人、札差などが売り惜しみ、米価が昨年の倍の値になりました―。まるで、最近のニュースを聞いているようですが、これは大河ドラマ「べらぼう」26話の冒頭、江戸城で老中が米の不作の報告を受けているシーンの話。前話で起こった浅間山の大噴火の影響もあり、天明の大飢饉が発生し、当時は多くの餓死者を出すほど深刻な問題となりました。報告を受けた老中・田沼意次は取り急ぎ商人たちに値下げを命じますが、商人たちが従うかどうかはあやふやで、騒動は収まる気配がありません。当然、蔦重も米不足の現実に直面。奉公人たちの食事、勝手に入り込んで食事をとる絵師や作家たちで、蔵の米はどんどん減っていきます。 実在した母の実像は? 26話では、そんな来客者のなかに、なんと蔦重の母“つよ”が紛れ込んでおり、残り少ない米を食べていました。本名広瀬(丸山)津与(つよ)は7歳の時に蔦重と生き分かれた実の母。父は丸山重助です。蔦重は、「今さら何しに来やがった」と激怒して追い返そうとします。しかし、「孝行したいときに親はなしと申します」と間に入った妻・ていのとりなしもあり、つよは同居することになりました。ところが、この“つよ”が来客者に無料で髪結いを行い、その間に店の本を渡しながら、蔦重が本の宣伝をする展開に。つよのスキルが思わぬ形で役立つことになりました。実はつよは教養が高いことが推定されます。母つよは吉原連に参加しており、蔦重の刊行した狂歌集に数回の発句を残しています。蔦唐丸母という戯号にて。実の母が子を想わぬはずはなく、孝養を尽くしたい蔦重とつよは同居して家業繁栄へ精力的に行動していたと思われます。母つよは妻貞(てい)とともに早々に耕書堂になじんでいたことが想定できます。 一方、意次の命令に従い米を正規の値段で販売する商人は一部のみで、庶民の生活はますます困窮。そこで「自分達にも何かできないか」と考えた蔦重が、ある突飛なアイデアを思いつきます。 天明の大飢饉を吹き飛ばせ! 蔦重と太田南畝等は天明狂歌ブームへ始動。蔦重は「暗い世だからこそ笑いを」と、正月に向けておめでたい狂歌集を作ることを発案。蔦重のこの想いに賛同し、大田南畝や歌麿が協力し、新たな黄表紙の作成に取りかかります。 そんな蔦重のもとを、今度は新たに若年寄に就任した田沼意知が訪れます。米の売り惜しみをする商人たちにどうしたら米を出させることができるか、商人を動かすには商人の知恵を借りるしかないと、蔦重に打開策を相談しに来たのです。すると、蔦重は黄表紙の話をするとともに、良い本を作っても地本問屋の仲間に入れてもらえなければ流通させることができず、自由に商売ができなかったと、書物の世界の「仲間制度」にさんざん苦しめられてきたと話します。この話にヒントを得た意知は、米を扱う仲買や問屋の株仲間制度の廃止を発案。米業者の結束を解き、売り惜しみや価格操作を防ごうとします。現在、米の流通は自由化されて誰でも集出荷、販売ができます。しかし、「消えた21万トンの米」が話題になるなど、消費者の間では米の流通に対する不信感がぬぐえません。ならば、いっそのこと米の生産から加工、流通、販売、消費までをデータ連携する「スマートフードチェーン」構想を義務化してみたら、売り惜しみしている業者も見える化されるのでは…と、26話を見ながら考えてしまいました。More
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